賀曽利隆の観文研時代[129]

賀曽利隆食文化研究所(18)比内編

『ツーリングGO!GO!』(三栄発行)2004年4月号 所収

 

序論

「東京→青森」の「東北縦断・食べまくり」をした。

 DR−Z400S走らせ、カソリの鉄の胃袋パワーを全開にして、次から次へと食べまくったのだ。カソリの本領発揮といったところだ。

 東北は米がうまいので何を食べても美味、どこで食べても美味の世界。

 その中で一番の忘れられない味といえば、秋田県北部の比内町(現大館市)で食べた「きりたんぽ鍋」だ。

調査

 秋田の郷土料理といえば、多くの人が「きりたんぽ鍋」を頭に思い浮かべることだろう。きりたんぽ鍋はそれほどのものだ。まさに秋田を代表する郷土料理だし、カソリの選ぶ日本の郷土料理ベスト10でも上位にランクされるものなのだ。

 比内町の国道285号沿いの道の駅「ひない」にあるレストラン「比内どり」で「きりたんぽ鍋」を食べた。

 グツグツ煮えた鍋には切ったきりたんぽと比内地鶏、マイタケ、セリ、ネギ、糸こんにゃくが入っている。鍋の底には笹がきゴボウが敷きつめられている。

 こんがり焼いたきりたんぽには汁がたっぷりしみこみ最高のうまさ。

 比内地鶏には野鳥の肉を思わせるようなしっかりとした歯ごたえがある。

 きりたんぽ鍋のうまさの秘密は汁にある。

 醤油と味醂、若干の酒で味つけされた汁には、比内地鶏のダシがしみ出ている。

 ここがポイントなのである。

 比内といえば「日本三大地鶏」のひとつ、比内鶏の産地。現在、比内鶏は天然記念物に指定されているので食べることはできないが、その比内鶏とかけあわせた比内地鶏がきりたんぽ鍋に使われている。

 きりたんぽ鍋と比内地鶏の相性は抜群の良さ。

 きりたんぽは粳米に糯米を混ぜて炊き、すりこぎで米粒の形が残る程度に搗いて練ったあと、杉串に巻きつけて焼いたもの。

 昔は囲炉裏のまわりに立てかけて焼いた。

 囲炉裏をほとんど見かけなくなった今日ではガスで焼くことが多い。

 もともとは「秋田マタギ」で知られる阿仁地方など北秋田の山地を生活の舞台にする猟師や木こりたちのものだったという。

 彼らは弁当の輪っぱの冷や飯を木の棒にはりつけ、それを焼いて持ち歩いた。そうすることによって腐敗を防いだ。まさに山地民の生活の知恵なのである。

 江戸時代のことだ。

 視察にきた秋田藩主にこれを差し上げた。

 すると、
「これは何というものだ?」
 と聞かれた。

 その形が稽古槍の先につける「たんぽ」に似ており、それを切って使うところから、地元民は即座に、
「きりたんぽといいます」
 と答えた。

 それ以来、「きりたんぽ」の名前が広まったという。

 そのきりたんぽに山椒醤油や胡桃醤油、練り味噌をつけて食べていた。

 さらに山でとれた山菜類やキノコ類、キジやヤマドリの鳥肉と一緒に鍋にして食べるようになった。それがいつしか家庭料理の「きりたんぽ鍋」になっていったのである。

結論

 新米が出始めると、まるでそれを待っていたかのように、「きりたんぽ鍋」はご馳走の主役として登場するようになる。

 秋田の家庭では客人へのもてなしや祝い事、収穫のねぎらい…と、なにかにつけてきりたんぽ鍋をつくる。比内のコンビニでは「きりたんぽ鍋、発送します」の貼り紙を見た。

 秋田にはきりんぽ鍋によく似た「だまこ鍋」という鍋料理もある。

 だまこというのはお手玉のことで、ご飯を搗きつぶし、お手玉のような形の団子状に丸め、それを焼かずに入れた鍋料理である。

 きりたんぽ鍋にしても、このだまこ鍋にしても、「日本の米どころ」、秋田ならではの郷土料理である。

 米のうまい東北と冒頭でいったが、奥羽山脈を境にして日本海側の方がよりうまいように感じる。比内に限らず、秋田ではどこでもそうだが、ふらっと入った食堂で出てくるご飯の味のよさには驚かされてしまう。

 ご飯の味のよさがあるからこそ、きりたんぽ鍋にしても、だまこ鍋にしても、米を主役にした鍋料理がひときはひきたつのである。

「きりたんぽ鍋」を食べて実感のするのは、
「米こそ日本の食文化の基本!」
 というこのあたりまえの一言だ。