投稿日: 2023年2月10日2023年2月11日 賀曽利隆の観文研時代[95] 吉野川の鮎(3) 1986年 大歩危駅前の食堂「いちひろ」で、ご主人の采本(うねもと)博さんに、この地方の鮎料理をいろいろと聞いてるうちに日が暮れてしまった。 駅近くの民宿に泊まり、夕食後、もう一度、駅前食堂の「いち … “賀曽利隆の観文研時代[95]” の続きを読む
投稿日: 2023年2月8日2023年2月10日 賀曽利隆の観文研時代[94] 吉野川の鮎(2) 1986年 大歩危駅前の食堂「いちひろ」で「あゆ定食」の昼食を食べたあと、食堂のご主人の釆本(うねもと)博さんに、この地方の鮎料理について聞いた。 鮎は6月の解禁直後の若鮎を塩焼きにして食べるのが一 … “賀曽利隆の観文研時代[94]” の続きを読む
投稿日: 2023年2月7日2023年2月8日 賀曽利隆の観文研時代[93] 吉野川の鮎(1) 1986年 坂東太郎 筑紫次郎 四国三郎 といえば、日本を代表する大河である。 坂東太郎は関東の利根川、筑紫次郎は九州の筑後川、そして四国三郎といえば四国第一の大河、吉野川のことである。 … “賀曽利隆の観文研時代[93]” の続きを読む
投稿日: 2023年2月5日2023年2月7日 賀曽利隆の観文研時代[92] 讃岐うどん(4) 1986年 高松駅から予算本線で西に向かう。列車は広々とした讃岐平野を走る。坂出、丸亀、多度津で途中下車し、町を歩き、「讃岐うどん」を食べ歩いた。 讃岐人は、「うどんは西讃に限る」とよくいう。 讃 … “賀曽利隆の観文研時代[92]” の続きを読む
投稿日: 2023年2月4日2023年2月5日 賀曽利隆の観文研時代[91] 讃岐うどん(3) 1986年 「讃岐うどん」の食べ歩きは、高松から始まった。 高松の町を歩いていて目につくのは、「うどん」、「手打ちうどん」、「讃岐うどん」、「饂飩屋」といった、うどんの看板を掲げた店の多いことだ。東京 … “賀曽利隆の観文研時代[91]” の続きを読む
投稿日: 2023年2月3日2023年2月4日 賀曽利隆の観文研時代[90] 讃岐うどん(2) 1986年 讃岐人のうどん好きはきわだっている。「うどん王国」の讃岐だけあって、香川県には「さぬきうどん研究会」といううどんの研究会がある。会報の『讃岐うどん』の最新号(1986年)によると、日本人、 … “賀曽利隆の観文研時代[90]” の続きを読む
投稿日: 2023年2月2日2023年2月3日 賀曽利隆の観文研時代[89] 讃岐うどん(1) 1986年 宇高連絡船の船上ですごい光景を見た! 宇高連絡船は岡山県の宇野と香川県の高松を結ぶ連絡船だが、8月11日(1986年)、宇野発14時54分の第15便に乗った。船はお盆の帰省客をのせ満員だ … “賀曽利隆の観文研時代[89]” の続きを読む
投稿日: 2023年2月1日2023年2月2日 賀曽利隆の観文研時代[88] 白峰村の栃餅 1986年 白山の山麓の村々では、ついひと昔前までは栃餅をつくっていた。どの家でも秋になると山に入り、栃の実を拾い集めた。 トチはトチノキ科の高木で落葉樹。九州を除く全国の山地に自生している。白山の周辺 … “賀曽利隆の観文研時代[88]” の続きを読む
投稿日: 2023年1月31日2023年2月1日 賀曽利隆の観文研時代[87] 金沢の近江町市場を歩く 1986年 北国の 時雨日和や それが好き 金沢の町をはぐくんできた犀川のほとりに、この町をこよなく愛した室生犀星の文学碑がたっている。それに隣りあって、冒頭の高浜虚子の句碑がたっている … “賀曽利隆の観文研時代[87]” の続きを読む
投稿日: 2023年1月30日2023年2月8日 賀曽利隆の観文研時代[86] 魚沼の鮭と鮎と山菜料理(3) 1986年 上越国境の山々から雪どけ水が流れてくる頃、魚野川では筌(うけ)を使ってのカジカとりがおこなわれる。カジカとりの筌のことを「カジカツツ」と呼んでいる。 カジカは清流に生息するカ … “賀曽利隆の観文研時代[86]” の続きを読む