70代編日本一周[210]

2017年10月31日[48日目2]

伊良湖港の伊勢湾フェリー乗り場伊勢湾フェリーの「鳥羽丸」に乗船前方に神島が見えている神島の脇を通っていく右手に答志島が見える伊勢湾フェリー「鳥羽丸」の車両甲板

浜松(静岡)→伊良湖岬(愛知)→鳥羽港(三重)→徳島(徳島):477キロ

伊良湖港の伊勢湾フェリー乗り場
▲伊良湖港の伊勢湾フェリー乗り場
伊良湖港のフェリーターミナル
▲伊良湖港のフェリーターミナル
伊勢湾フェリーの「鳥羽丸」に乗船
▲伊勢湾フェリーの「鳥羽丸」に乗船
伊勢湾フェリーの「鳥羽丸」、伊良湖港を出港
▲伊勢湾フェリーの「鳥羽丸」、伊良湖港を出港
前方に神島が見えている
▲前方に神島が見えている
神島の脇を通っていく
▲神島の脇を通っていく
右手に答志島が見える
▲右手に答志島が見える
鳥羽港が見えてくる
▲鳥羽港が見えてくる
伊勢湾フェリー「鳥羽丸」の車両甲板
▲伊勢湾フェリー「鳥羽丸」の車両甲板
鳥羽港に上陸
▲鳥羽港に上陸

『地平線通信』(第20回目)

2020年2月号より

「一宮めぐり」から「国府めぐり」へ

●70歳の誕生日を迎えた2017年9月1日、スズキの250ccバイク、Vストローム250を走らせて、「70代編日本一周」に旅立ちました。この「70代編日本一周」は「地平線通信』で書かせてもらい、昨年1月の地平線会議の報告会でも話させてもらいましたが、94日間で2万5296キロを走り、12月17日に東京・日本橋にゴールしました。日本の47都道府県に足を踏み入れ、47都道府県庁所在地を通過し、「日本本土四極」の納沙布岬(北海道)、宗谷岬(北海道)、神崎鼻(長崎)、佐多岬(鹿児島)の最東西南北端に立ちました。

●「岬のカソリ」は「日本本土四極」のみならず、北海道の4極、本州の4極、四国の4極、九州の4極と、「日本本土十六極」に立ちました。さらに沖縄本島では最北端の辺戸岬と最南端の喜屋武岬(実際にはその南の荒崎ですが)にも立ちました。

●しかし、「70代編日本一周」で、それ以上にこだわったのは日本の旧国です。今回の日本一周では、日本の「五畿七道」の68ヵ国に足を踏み入れました。「五畿」は畿内の大和、山城、摂津、河内、和泉の5国、「七道」は東海道の15国、東山道の8国、北陸道の7国、山陽道の8国、山陰道の8国、南海道の6国、西海道の11国です。島国の佐渡(北陸道)、隠岐(山陰道)、壱岐(西海道)、対馬(西海道)、淡路(南海道)の5国にも渡りました。

●バイク旅の良さは「境」がよくわかることです。旧国の国境では極力、バイクを止めるようにしました。峠や大河のようなわかりやすい国境はいいのですが、たとえば伊豆と駿河のような通り過ぎたのも気がつかないような国境では何度も行き来しました。そして旧東海道の幅2、3メートルほどの川(境川)が国境になっていることを確認するのでした。

●日本の旧国を面白がるようになったのは、民俗学者の宮本常一先生が所長をされていた日本観光文化研究所で、日本を歩かせてもらうようになった30代からのことです。地図を見ると、まずは旧国の国境に赤線を引きました。国境の赤線を引くと、たとえば静岡県だったら伊豆、駿河、遠江で、愛知県だったら三河、尾張で、岐阜県だったら美濃、飛騨で見ていくという旅の仕方です。

●「50代編日本一周」(1999年)と、それにつづく「島めぐり日本一周」(2001年〜2002年)でも日本の旧国68ヵ国をまわりましたが、そのときは旧国のシンボルとしてそれぞれの国の一宮、68社をめぐりました。驚かされたのは68国のすべてに、千何百年という歳月を乗り越えて、一宮が残っているということでした。何という生命力。それ以降、カソリの「一宮めぐり」は始まったのです。

●一宮は1国1社ではなく、複数社の国も多いので、カソリのカウントでは全部で105社になりました。ということで、ことあるごとに日本各地の一宮をめぐるようになったのです。「一宮めぐり」を始めて21年目、昨年(2019年)、ついに100社を超えて102社になりました。残るのは越中の一宮の雄山神社と、出羽の一宮の大物忌神社です。ところがこの2社が大変なのです。雄山神社は立山の山頂に、大物忌神社は鳥海山の山頂にまつられているからです。

●7月26日、まずは越中の一宮、雄山神社に向かいました。里宮の2社、岩峅寺の雄山神社(前立社壇)と芦峅寺の雄山神社(中宮祈願殿)を参拝し、立山の玄関口の立山駅へ。そこからケーブルカーと高原バスで標高2450メートルの室堂まで行きました。室堂から立山登山が始まります。ヒーヒーハーハーいいながら標高2690メートルの一ノ越まで登り、雄山山頂への急坂を攀じ登りました。

●立山は雄山(3003m)、大汝山(3015m)、富士ノ折立(2999m)の3峰から成っていますが、そのうちの雄山山頂に雄山神社の本宮がまつられています。雄山の山頂に到達したときは感動の瞬間で、そこからは北アルプスの後立山連峰の山々を一望するのでした。すぐ近くまで雷鳥の親子がやってきて、登山の疲れを癒してくれました。雄山神社の本宮では若い神主さんにお祓いをしてもらいました。

●8月30日には出羽の一宮、大物忌神社に向かいました。大物忌神社の蕨岡口の宮と吹浦口の宮の里宮2社を参拝し、鳥海ブルーラインで鳥海山5合目の鉾立へ。「鉾立山荘」で一晩泊まり、翌日、鳥海山の山頂を目指しました。御浜小屋で昼食を食べ、猛烈な風が吹き荒れる稜線上の道を登り、ついに鳥海山山頂直下の御室小屋に到達。御室小屋に隣りあって大物忌神社の山頂本社を参拝しました。立山と鳥海山に登れたのは、「日本百名山」を登っている坂本夫妻が同行してくれたからでした。お二人には感謝、感謝です。鳥海山頂の大物忌神社の参拝を終えると、ぼくは新たな地平線を見る思いがしました。

●「一宮めぐり」は日本の旧国を見てまわるのにはすごくいい方法ですが、いよいよ旧国の本丸に迫っていきたくなったのです。ということで、かつての旧国の中心の「国府めぐり」をしようと決めたのです。「国府めぐり」を始めたのは2020年になってからのことです。まずは地元から始めました。神奈川県伊勢原市の我が家に近い相模の国府へ。ここは大磯町になりますが、「国府」(こう)の地名が残っています。相模の総社の六所神社を参拝し、国府津にも足を延ばしました。つづいて海老名へ。ここには国分寺跡と国分尼寺跡がありますが、「国府めぐり」では「国府」と「総社」、「国分寺」をセットで見ていこうと思っています。

●相模の次は武蔵の国府です。JR南武線の府中本町の駅前が国府跡。ここでは復元された国府の模型を見ることができました。つづいて武蔵の総社の大國魂神社を参拝。境内にある「ふるさと府中歴史館」の「国府資料展示室」を見てまわりました。つづいてJR武蔵野線の西国分寺駅へ。そこから武蔵の国分寺跡に行きました。国分寺跡を見てまわると、府中街道を横切り、JR武蔵野線のガードをくぐり抜けて国分尼寺跡へ。このときぼくは、府中街道が古代日本の官道の東山道の一部であることを知るのでした。

●明日は千葉県の「国府めぐり」に行ってきます。下総の国府(市川)から上総の国府(市原)、安房の国府(館山)と、房総の国府を見てまわります。何が見られるか、すごく楽しみです。つづいて上野(群馬県)、下野(栃木県)、常陸(茨城県)と北関東の国府をめぐります。10年計画でのカソリの「国府めぐり」はおもしろくなりそうです。(賀曽利隆)

越中の一宮、雄山神社の山頂本社を目指して立山を登る、立山は雄山(3003m)、大汝山(3015m)、富士ノ折立(2999m)の3峰から成っているが、そのうちの右端の雄山山頂に、雄山神社の本宮がまつられている
越中の一宮、雄山神社の山頂本社を目指して立山を登る、立山は雄山(3003m)、大汝山(3015m)、富士ノ折立(2999m)の3峰から成っているが、そのうちの右端の雄山山頂に、雄山神社の本宮がまつられている

70代編日本一周[209]

2017年10月31日[48日目1]

夜明けの谷ノ口海岸太平洋に朝日が昇る道の駅「あかはね」で小休止赤羽根漁港神島が見える。その向こうには志摩半島が見える伊良湖岬突端の灯台

浜松(静岡)→伊良湖岬(愛知)→徳島(徳島):477キロ

浜松駅北口の「東横イン」を出発
▲浜松駅北口の「東横イン」を出発
浜松からは国道42号を行く
▲浜松からは国道42号を行く
国道42号で愛知県に入り、「サークルK」で朝食
▲国道42号で愛知県に入り、「サークルK」で朝食
「サークルK」の「幕の内弁当」とバナナ、饅頭
▲「サークルK」の「幕の内弁当」とバナナ、饅頭
夜明けの谷ノ口海岸
▲夜明けの谷ノ口海岸
太平洋に朝日が昇る
▲太平洋に朝日が昇る
道の駅「あかはね」で小休止
▲道の駅「あかはね」で小休止
道の駅「あかばね」で飲む「ワンダ」
▲道の駅「あかばね」で飲む「ワンダ」
赤羽根漁港
▲赤羽根漁港
伊良湖岬に到着
▲伊良湖岬に到着
神島が見える。その向こうには志摩半島が見える
▲神島が見える。その向こうには志摩半島が見える
伊良湖岬突端の灯台
▲伊良湖岬突端の灯台

『地平線通信』(第19回目)

2019年1月号より

カソリと日本一周

●みなさ〜ん、すっかりごぶさたしました。地平線会議の「40年祭」は盛大にやりましょうといっておきながら、何らかかわれず、参加することもできず、ほうんとうに申し訳なく思っています。大盛況のうちに終わったと聞いてホッとしています。

●昨年の『地平線通信』(1月号)でもお伝えしたように、70歳の誕生日を期して出発した「賀曽利隆の70代編日本一周」をつづけていたからなのです。おかげさまで、昨年末の12月31日をもって、終了させることができました。最後は、最初と同じ、「伊豆半島一周」です。2018年12月31日21時15分に東京・日本橋にゴール。その瞬間、2017年9月1日に日本橋をスタートしたシーンがよみがえり、胸がジーンとしてくるのでした。

●「70代編日本一周」の相棒、Vストローム250のメーターは81626キロを表示していました。この走行距離は2017年8月1日〜8月31日の「日本一周プレラン」(4174キロ)、9月1日〜12月17日の「日本一周・第1部」(25296キロ)、2017年12月20日〜1918年12月31日の「日本一周・第2部」を合わせたものです。そのほかに、『ツーリングマップル東北2019年版』の表紙撮影&実走取材で使用したVストローム1号(7328キロ)、2万キロごとのタイヤ交換やチェーン、スプロケット等の交換時に用意してもらったVストローム2号(685キロ)、Vストローム3号(3752キロ)がありますので、全部で4台のVストローム250で成しとげた「日本一周」。全走行距離は93391キロになりました。10万キロに到達しなかったのはちょっと残念です。

●「賀曽利隆の70代編日本一周」第2部の「テーマ編」は、第1部を終えた直後の2017年12月20に開始しました。「1年365日、毎日、バイクに乗ってやる!」という意気込みでスタートさせました。12月20日の浜松往復を皮切りに、峠越え(ヤビツ峠)、伊勢原探訪、三浦半島一周、江ノ島探訪、峠越え(朝比奈峠)、大楠山登頂(三浦半島最高峰)、箱根スカイライン、伊豆スカイライン、大山登頂、大山街道(田村道)と一日の休みもなくバイクを走らせました。

●2018年に入っても1月1日の元日ツーリング(初詣、初日の出、初富士、相模の神社めぐり)を皮切りに富士山一周、伊豆半島一周、東京探訪(江戸城)、峠越え(正丸峠)、高麗山登頂、小田原探訪、峠越え(箱根峠)、峠越え(足柄峠)、大山街道(矢倉沢街道)、安房国探訪、弘法山登頂、峠越え(山伏峠・道志村)、峠越え(雛鶴峠)、真鶴探訪、街道を行く(東海道・平塚宿→日本橋)、東京探訪(品川宿)、街道を行く(東海道・沼津宿→府中宿)、大山街道(二宮道)、相模川探訪(河口→昭和橋)、相模川探訪(昭和橋→小倉橋)、峠越え(篠窪峠)、国道走破行(東京〜横浜間の超短国道)、相模川探訪(小倉橋→日連大橋)、相模川探訪(日連大橋→山中湖)、新東名厚木南IC(15時に開通)、峠越え(鶴峠)、峠越え(小仏峠)、峠越え(高麗峠)と、やはり1月も1日も休むことなくバイクを走らせました。

●このようにして2月以降も、「峠越え」や「温泉めぐり」、「岬めぐり」、「街道を行く!」、「林道走破行」、「島めぐり」など様々なテーマで日本を駆けめぐりました。中でも特筆すべきなのは「鵜ノ子岬→尻屋崎」です。東日本大震災の発生した3月11日に、我がライフワークにもなっている「鵜ノ子岬→尻屋崎」に出発しました。鵜ノ子岬は東北太平洋岸最南の岬、尻屋崎は東北太平洋岸最北の岬。「鵜ノ子岬→尻屋崎」を走ることによって、東日本大震災の大津波で大きな被害を受けた東北太平洋岸の全域を見てまわれるのです。ということで始めた「鵜ノ子岬→尻屋崎」も今回が第20回目。東北太平洋岸の変わりゆく姿を見ています。

●「12345678910ツーリング」も忘れられません。日本の幹線国道の国道1号から国道10号までの国道走破行です。国道1号→国道2号→国道3号で「東京→鹿児島」を走り、国道10号→国道9号→国道8号、さらには国道17号で「鹿児島→東京」を走りました。つづいて国道4号→国道5号で「東京→札幌」を走り、青森に戻ると、国道45号経由で「仙台→東京」の国道6号を走りました。最後の国道7号は東京から国道4号で青森まで行き、「青森→新潟」の国道7号を走り、国道17号で東京に戻ってきたのです。毎年、恒例の「東京→青森・林道走破行」もやりました。全部で20本の林道を走り、ダート距離の合計は160・1キロになりました。

●我が旅人生は1968年4月12日に旅立った「アフリカ一周」に始まります。カソリ、20歳の旅立ちでした。日本に帰ってきたときは22歳になっていましたが、「こんなにおもしろいことはない。これからはバイクで世界を駆けまわるぞ!」と、22歳の誓いをたてたのです。その「22歳の誓い」どおりにというか、「アフリカ一周」にひきつづいて、「世界一周」、「六大陸周遊」で世界を駆けめぐったのです。20代の世界旅は超貧乏旅行の連続で、基本は宿泊費ゼロ。1000夜以上の野宿をしました。

●ぼくが日本に目を向けたのは20代も後半になってからのことです。そのときに、日本をテーマで見ていこうと思いたち、「峠越え」や「温泉めぐり」、「岬めぐり」などをテーマにして日本を走り始めたのです。「日本一周」も日本を見るためのテーマのひとつでした。30代は日本に夢中になりました。40代、50代は日本と世界をキャッチボールするような感じで、日本を見た目で世界を見る、世界を見た目で日本を見る、それをくりかえしました。60代以降は日本に重点をおいた旅をつづけています。

●下記のカソリの「日本一周一覧」を見ていただきたいのですが、ぼくにとっての最初の「日本一周」は30代編でした。今となっては20代編をやっておけばよかったと悔やむ気持ちもあります。30代編日本一周にひきつづいて40代編、50代編、60代編、70代編と「年代編」の「日本一周」をつづけました。その間には「島めぐり日本一周」、「温泉めぐり日本一周」、「林道日本一周」の「テーマ編日本一周」があります。

●10年ごとの「年代編日本一周」はまさに我が人生の節目を見るかのようです。「30代編日本一周」は妻と生後10ヵ月の赤ん坊を連れての「シベリア横断→サハラ縦断」から帰ったあとのことでした。2人目の子供が誕生したのを見届けると、家にあった10万円を旅の資金にし、妻には「わるいな、それでは行ってくるからな」と言い残して旅立ちました。全費用10万円の日本一周なので、全泊野宿でした。「40代編日本一周」は出発直前に胸の腫瘍がみつかり、「あー、我が人生もこれで終わりか…」と、暗い気分で旅立ちました。

●それからの10年間は「死の恐怖」に怯える毎日。40代の後半になって胸の腫瘍を除去してもらったときは、「これでまだ大丈夫!」と生き返るような思いでした。「50代編日本一周」の出発は1年、送らせました。何と50代に突入してまもなく心臓発作に見舞われ、家の階段も登れなくなってしまったのです。なんとかバイクに乗れるくらいまで回復したあとは、重度の不整脈に見舞われました。医師にはまるで人ごとのように、「よくこれで普通の生活が送れますね」といわれたほど。

●そんな不整脈を抱えての旅立ちでしたが、日本橋を旅立ってから13日目、四国の四万十川沿いの道を走っているときに、不整脈はピタッと止まったのです。病院では治せなかった不整脈がバイクで治ったのです。それから20年間、不整脈は一度も出ていませんし、心臓発作の再発もありません。

●「60代編日本一周」は「還暦」との戦い。還暦が重い重圧となって、のしかかってきました。それを乗り越えたとき、新たな地平が目の前に開けていました。「そうだ、還暦だから元に戻れるのだ、自分の原点は20歳。20歳に戻ろう!」と思ったときの気持ちの軽さは今でも忘れられません。そして「70代編日本一周」ですが、まさに「老いとの戦い」。日々、迫りくる老いとの戦いの連続を乗り越えたとき、「よーし、これでまだできる、今度は80代編日本一周を目指そう!」という気持ちになるのでした。みなさん、ぜひとも1月29日の地平線会議の報告会にはおいでください。カソリの「日本一周」を語り尽くしたいと思っています。(賀曽利隆)

2018年12月31日、東京・日本橋に到着。これにて「70代編日本一周」、終了。2年間で93391キロを走った
2018年12月31日、東京・日本橋に到着。これにて「70代編日本一周」、終了。2年間で93391キロを走った

■賀曽利隆の「日本一周」一覧■
[01]30代編日本一周
   1978年8月28日〜1978年11月16日(64日)
   「東日本編」「西日本編」の2分割
   スズキ・ハスラーTS50(空冷) 18981キロ
[02]40代編日本一周
   1989年8月17日〜1989年11月16日(92日)
   スズキ・ハスラーTS50(水冷) 18984キロ
[03]50代編日本一周
   1999年4月1日〜1999年10月29日(122日)
   「西日本編」「東日本編」の2分割
   スズキDJEBEL250GPS 38571キロ
[04]島めぐり日本一周
   2001年3月22日〜2002年4月22日(154日)
   「伊豆諸島・小笠原諸島編」「本州東部編」「北海道編」
   「本州西部編」「四国編」「九州編」「沖縄編」の8分割
   スズキSMX50、スズキ・バーディー90 23692キロ
[05]温泉めぐり日本一周
   2006年11月1日〜2007年10月31日(296日)
   「関東編」「甲信編」「本州西部編」「四国編」
   「九州編」「本州東部編」「北海道編」「伊豆諸島編」の8分割
   関東編   スズキGSR400
   甲信編   スズキST250
   本州西部編 スズキDJEBEL250XC
   四国編   スズキスカイウェイブ400
   九州編   スズキ・バンディット1250S
   本州東部編 スズキDR−Z400S
   北海道編  スズキDR−Z400SM
   伊豆諸島編 スズキ・アドレスG125V
   60719キロ
[06]60代編日本一周(第1部)
   2008年10月1日〜2008年12月27日(80日)
   「西日本編」「東日本編」の2分割
   スズキ・アドレスV125G 19961キロ
[07]60代編日本一周(第2部)
   2009年4月1日〜2009年10月28日(151日)
   「四国八十八ヵ所めぐり」 スズキ・アドレスV125G
   「日本百観音霊場めぐり」 スズキ・アドレスV125G
   「奥の細道紀行」     スズキST250
   「東北四端紀行」     スズキDR−Z400S
   「奥州街道を行く!」   スズキDR−Z400S
   「北海道遺産めぐり」   スズキDR−Z400S
   41609キロ
[08]林道日本一周
   2010年5月12日〜2010年9月10日(78日)
   「西日本編」「東日本編」の2分割
   スズキDR−Z400S、スズキ・ビッグボーイ 28208キロ
[09]70代編日本一周(第1部)
   2017年9月1日〜2017年12月17日(93日)
   「東日本編」「西日本編」の2分割
   スズキVストローム250 25296キロ
   「日本一周プレラン」
   2017年8月1日〜2017年8月31日
   スズキVストローム250 4174キロ
[10]70代編日本一周(第2部)
   2017年12月20日〜2018年12月31日
   テーマ編の日本一周
   スズキVストローム250 63648キロ

70代編日本一周[208]

2017年10月31日[47日目4]

しらびそ峠からの眺めしらびそ峠の案内板しらびそ高原の絶景ポイント下栗の集落を見下ろす信遠国境(長野・静岡県境)の兵越峠浜松に到着

和田(長野)→茅野→高遠→地蔵峠→遠山郷→浜松(静岡):242キロ

しらびそ峠からの眺め
▲しらびそ峠からの眺め
しらびそ峠の案内板
▲しらびそ峠の案内板
しらびそ高原の絶景ポイント
▲しらびそ高原の絶景ポイント
下栗の集落を見下ろす
▲下栗の集落を見下ろす
道の駅「遠山郷」でひと休み
▲道の駅「遠山郷」でひと休み
HOTの「はちみつレモン」を飲む
▲HOTの「はちみつレモン」を飲む
信遠国境(長野・静岡県境)の兵越峠
▲信遠国境(長野・静岡県境)の兵越峠
国道152号沿いの「あらたま庵」で夕食
▲国道152号沿いの「あらたま庵」で夕食
「あらたま庵」の「釜めし御膳」
▲「あらたま庵」の「釜めし御膳」
浜松に到着
▲浜松に到着
今晩の宿は浜松駅北口の「東横イン」
▲今晩の宿は浜松駅北口の「東横イン」

『地平線通信』(第18回目)

2018年1月号より

爆走!! 70代編日本一周

●みなさ〜ん、あけましておめでとうございます。お正月はいかがお過ごしでしたか。ぼくは昨年の9月1日に「70代編日本一周」に出発しました。この日が70歳の誕生日。初めての日本一周は「30代編日本一周」でしたので、今回はそれから40年目ということになります。地平線会議も今年は「40年祭」をやるので、我ながら「ちょうどよかったな」と思っています。地平線会議の「40年祭」はおおいに盛り上げましょうね。

●今回の日本一周はすでにみなさんにお伝えしたように、東日本編(9月1日〜10月15日)と西日本編(10月30日〜12月17日)の2分割でまわりました。日本列島の海岸線をメインコースにして、何ヵ所かで内陸に入っていくループのルートを織り交ぜながらまわりました。日本の全都道府県、全都道府県庁所在地に足を踏み入れました。さらに日本の全国(68国)にも足を踏み入れたのです。

●スズキの250ccバイク、Vストローム250で、全行程2万5296キロを走りました。地球半周分以上のこの数字からもわかるように、日本という国の広さを実感できました。日本列島は南北に細長いし、東西にも広いのです。その広さを感じられるのが「日本一周」の魅力です。12月に入ってから沖縄に渡りましたが、朝の気温は20度、そのとき北海道では氷点下10度のところがありました。同じ時間で気温が30度も違うのです。

●「日本一周」でうれしいのは、各地でいろいろな人に出会えたことです。北海道の豊富町では「田中雄二郎牧場」を訪ねました。田中雄二郎さんは地平線会議の三輪先生の教え子ですが、ますます精悍な顔つきになっていました。ぼくが初めて田中雄二郎牧場を訪ねたのは「40代編日本一周」の時です。その時、牧場は音威子府にありました。あおちゃん、雄馬くん、真生くんと3人の小さなお子さんをかかえて雄二郎さん夫妻は大奮闘していました。その後、田中家の子供たちは全部で6人になりましたが、30年たって末っ子の晴大君以外はみなさんが成人になっています。6人の子供たちを育てながらの牧場経営はさぞかし大変なことだったと思います。

●山陰の江津市では曹洞宗の古刹、日笠寺を訪ねました。この寺の住職は山崎禅雄さん。民俗学者の宮本常一先生がおつくりになった日本観光文化研究所(観文研)の先輩で、ながらく『あるくみるきく』の編集長をしていました。観文研時代はよく山崎さんとレンタカーを走らせて日本各地をまわったものです。

●40年前の「30代編日本一周」の時には日笠寺には泊めてもらい、山崎さんのお母さんには夕食にサトイモやゴボウ、レンコンなどの入ったオニシメ(煮しめ)をつくってもらいました。大皿に盛られたオニシメをたいらげ、お母さんを驚かせたのがなつかしい思い出です。日笠寺は当時は桜江町でしたが、今は平成の大合併で江津市になり、江川沿いに走るJR三江線もまもなく廃線です。

●宮本常一先生のご郷里の周防大島は、我が「日本一周」の聖地巡礼のようなもので、「日本一周」のたびに訪ねています。「宮本常一記念館」を見学したあと、宮本先生のご子息の光さんに会いました。名産のサツマイモ「東和きんとき」の収穫で忙しかったのにもかかわらず、手を休めてくれました。それのみならず、東和きんときの焼きいものおみやげまで持たせてくれました。

●「30代編日本一周」の時には宮本家で泊めてもらい、光さん夫妻と一緒になってミカン園での農作業の手伝いをしたのですが、それが今となっては何ともなつかしい思い出です。宮本先生のご郷里は「30代編日本一周」の時には東和町でしたが、今では周防大島の4町が合併して周防大島町になっています。

●今回の「70代編日本一周」ではスマホを使って、ツイッターで発信しました。それを見た多くのみなさんが、日本各地でぼくのことを待ち構えていました。その数は100人以上。北海道の天塩川の河口で会ったドミンゴ高田さんは栃木県佐野市の焼肉店の店主ですが、どうしても北海道でカソリを捕獲したいと、1000キロ以上もの距離を走って来てくれました。

●神奈川県茅ケ崎市の茅ケ崎さんは750キロ走って四国の宇和島でカソリを捕獲。そのあと3日間、四国を一緒に走りました。神奈川県相模原市の女性温泉家ゆーゆーさんは500キロ以上も走って紀伊長島でカソリを捕獲。みなさん、500キロ、1000キロという距離をものともせずに来てくれたのですが、このようなうれしい出会いもありました。

●こうして12月17日で終わったカソリの「70代編日本一周」ですが、すぐさま、第2部を開始しました。12月21日の丹沢の「ヤビツ峠越え」に始まり、「三浦半島一周」、「江ノ島探訪」、鎌倉の「朝比奈峠越え」、三浦半島の最高峰「大楠山登頂」、「箱根スカイライン」、「伊豆スカイライン」、「大山登頂」、「大山街道」と。新年になってからは初詣、初日の出、初富士、相模の神社めぐりの「元日ツーリング」に始まり、「富士山一周」、「東京探訪」とつづき、昨日(1月5日)は「伊豆半島一周」に行ってきました。今年一年は12月31日まで、さまざまなテーマで日本中を駆けめぐろうと思っています。(賀曽利隆)

2017年9月1日、「70代編日本一周」に出発。この日はカソリの70歳の誕生日。東京・日本橋からVストローム250で気分を高揚させて走りだした
2017年9月1日、「70代編日本一周」に出発。この日はカソリの70歳の誕生日。東京・日本橋からVストローム250で気分を高揚させて走りだした

70代編日本一周[207]

2017年10月31日[47日目3]

高遠を出発三峰川沿いに行く国道152号の分杭峠三峰川沿いに走る国道152号分杭峠の紅葉狭路の国道152号で地蔵峠へ

和田(長野)→茅野→高遠→地蔵峠→遠山郷→浜松(静岡):242キロ

高遠を出発
▲高遠を出発
三峰川沿いに行く
▲三峰川沿いに行く
三峰川沿いに走る国道152号
▲三峰川沿いに走る国道152号
国道152号の分杭峠
▲国道152号の分杭峠
分杭峠に立つ藩境標
▲分杭峠に立つ藩境標
分杭峠の紅葉
▲分杭峠の紅葉
狭路の国道152号で地蔵峠へ
▲狭路の国道152号で地蔵峠へ
国道152号の地蔵峠。分断国道の国道152号はここで途切れる
▲国道152号の地蔵峠。分断国道の国道152号はここで途切れる
地蔵峠周辺の紅葉
▲地蔵峠周辺の紅葉
地蔵峠からは舗装林道の蛇洞林道を行く
▲地蔵峠からは舗装林道の蛇洞林道を行く
紅葉の蛇洞林道
▲紅葉の蛇洞林道

『地平線通信』(第17回目)

2017年9月号より

「70代編日本一周」にスタート!!!

●みなさん、お元気ですか。今年の夏はどのようにお過ごしでしたか。ぼくはバイクで東北を走りまわってきました。明治初期に日本を旅したイギリス人女性イサベラバードの書き残した『日本奥地紀行』の足跡を追って、栃木・福島県境の山王峠を越え、新潟、山形を経由し、羽州街道で青森まで行きました。「ダムめぐり」では、70あまりのダムカードを配布している東北のダムに行きました。「岬めぐり東北一周」で全部で92岬に立ちました。「東京→青森・林道走破行」では全部で18本の林道を走りました。と、おもしろい夏でしたよ。

●ところでぼくは9月1日で70歳になります。いや〜、まさに光陰矢の如しで、まさか自分が70歳になるとは夢にも思いませんでした。それを嘆いていても始まらないので、9月1日には「70代編日本一周」に出発します。「30代編日本一周」(1978年)を皮切りにして、「40代編日本一周」(1989年)、「50代編日本一周」(1999年)、「60代編日本一周」(2008年)と、ほぼ10年ごとに年代編の日本一周を繰り返してきましたが、それにひきつづいての「70代編日本一周」になります。

●そのほかにも「島めぐり日本一周」(2001年〜2002年)、「温泉めぐり日本一周」(2006年〜2007年)、「林道日本一周」(2010年)とテーマ編の日本一周もおこなってきましたので、今回の「70代編日本一周」は8度目の日本一周ということになります。

●今回の「70代編日本一周」は「東日本編」と「西日本編」の2分割でまわります。「東日本編」は9月1日から10月10日までの40日間、「西日本編」は11月1日から12月10日までの40日間、合計80日を予定しています。「生涯旅人!」をモットーにしているカソリですので、「70代編日本一周」を新たなスタートにして、70代もトコトン、バイク旅をつづけていきたいのです。

●今回の「70代編日本一周」では、日本の47都道府県に足を踏み入れます。メインコースは日本列島の海岸線で、自分の走ったルートで日本地図を描くようなものにします。その間では何本ものループのコースをつくり、内陸部をまわります。

●ぼくのバイク旅の二大テーマは峠と温泉。2017年1月1日現在、1689峠を越え、1927湯(1湯1温泉地の数え方をしています)の温泉に入っていますが、今回の日本一周でもより多くの峠を越え、より多くの温泉に入るつもりでいます。さらにできるだけ多くの岬にも立つつもりにしています。

●我が「日本一周」の原点は「30代編日本一周」です。今から40年も前のことになりますが、今回の「70代編日本一周」では同じようなコースも走るので、この40年間の日本の変化をしっかりと見ようと思っています。

●使用するバイクは7月6日から国内での販売が開始されたスズキのニューモデル、V−ストローム250です。今年の「東京モーターサイクルショー」で衝撃の出会いをした瞬間、「日本一周はV−ストローム250で走ろう!」と心に決めていました。自分の心の中にひそむチャレンジ精神をおおいに刺激してくれるようなアドベンチャーツアラーのバイクです。日本のどこかでぼくを見かけたら、ぜひともお声をかけてください。お願いしますね。最後に我が「日本一周」のデータをぜひともご覧になってください。

■賀曽利隆の「日本一周」一覧■
[01]30代編日本一周
   1978年8月28日〜1978年11月16日(64日)
   「東日本編」「西日本編」の2分割
        スズキ・ハスラーTS50(空冷) 18,981キロ
[02]40代編日本一周
   1989年8月17日〜1989年11月16日(92日)
        スズキ・ハスラーTS50(水冷) 18,984キロ
[03]50代編日本一周
   1999年4月1日〜1999年10月29日(122日)
   「西日本編」「東日本編」の2分割
        スズキDJEBEL250GPS 38,571キロ
[04]島めぐり日本一周
   2001年3月22日〜2002年4月22日(154日)
   「伊豆諸島・小笠原諸島編」「本州東部編」「北海道編」
   「本州西部編」「四国編」「九州編」「沖縄編」の8分割
      スズキSMX50、スズキ・バーディー90 23,692キロ
[05]温泉めぐり日本一周
   2006年11月1日〜2007年10月31日(296日)
   「関東編」「甲信編」「本州西部編」「四国編」「九州編」
   「本州東部編」「北海道編」「伊豆諸島編」の8分割
   関東編   スズキGSR400
   甲信編   スズキST250
   本州西部編 スズキDJEBEL250XC
   四国編   スズキスカイウェイブ400
   九州編   スズキ・バンディット1250S
   本州東部編 スズキDR−Z400S
   北海道編  スズキDR−Z400SM
   伊豆諸島編 スズキ・アドレスG125V
                         60,719キロ
[06]60代編日本一周(第1部)
   2008年10月1日〜2008年12月27日(80日)
   「西日本編」「東日本編」の2分割
   スズキ・アドレスV125G 19961キロ
[07]60代編日本一周(第2部)
   2009年4月1日〜2009年10月28日(151日)
   「四国八十八ヵ所めぐり」 スズキ・アドレスV125G
   「日本百観音霊場めぐり」 スズキ・アドレスV125G
   「奥の細道紀行」     スズキST250
   「東北四端紀行」     スズキDR−Z400S
   「奥州街道を行く!」   スズキDR−Z400S
   「北海道遺産めぐり」   スズキDR−Z400S
                          41,609キロ
[08]林道日本一周
   2010年5月12日〜2010年9月10日(78日)
   「西日本編」「東日本編」の2分割
   スズキDR−Z400S、スズキ・ビッグボーイ   28,208キロ

■賀曽利隆の「日本一周」の著作等一覧■
[01]30代編日本一周
   『50ccバイク日本一周・上下巻』
       (1984年5月15日・交通タイムス社)
[02]40代編日本一周
   『50ccバイク日本一周2万キロ』
       (1990年11月15日・JTB)
[03]50代編日本一周
   『日本一周 バイク旅4万キロ 上下巻』
       (2000年4月1日・昭文社)
[04]島めぐり日本一周
   『50ccバイク 島めぐり日本一周』
       (2005年7月1日・小学館)
[05]温泉めぐり日本一周
   『300日3000湯めぐり日本一周 上下巻』
       (2008年9月1日・昭文社)
[06]60代編日本一周(第1部)
   『カソリング』(連載385回)
[07]60代編日本一周(第2部)
   「四国八十八ヵ所めぐり」 『カソリング』(連載169回)
   「日本百観音霊場めぐり」 『カソリング』(連載150回)
   「奥の細道紀行」     『カソリング』(連載83回)
   「東北四端紀行」     『カソリング』(連載40回)
   「奥州街道を行く」    『カソリング』(連載23回)
   「北海道遺産めぐり」   『カソリング』(連載56回)
[08]林道日本一周 
                『カソリング』(連載213回)

■賀曽利隆の旅の記録・2017年1月1日現在■
 旅の日数      7,273日
 バイクで走った距離 1,519,518キロ
(この通算の日数と距離は1968年4月12日に「アフリカ大陸一周」に旅立った以降のものです)

我が日本一周の原点、「30代編日本一周」(1978年)。スズキ・ハスラーTS50(空冷)で1万8981キロを走った。その途中ではスズキの本社を表敬訪問。当時は可美村だった。今では浜松市になっている
我が日本一周の原点、「30代編日本一周」(1978年)。スズキ・ハスラーTS50(空冷)で1万8981キロを走った。その途中ではスズキの本社を表敬訪問。当時は可美村だった。今では浜松市になっている

70代編日本一周[206]

2017年10月31日[47日目2]

和田(長野)→茅野→高遠→地蔵峠→遠山郷→浜松(静岡):242キロ

茅野の諏訪大社上社の前宮を参拝
▲茅野の諏訪大社上社の前宮を参拝
諏訪大社上社の前宮近くから見る茅野の町並みと八ヶ岳
▲諏訪大社上社の前宮近くから見る茅野の町並みと八ヶ岳
杖突峠の「峠の茶屋」に到着
▲杖突峠の「峠の茶屋」に到着
杖突峠の「峠の茶屋」から見下ろす茅野の市街地
▲杖突峠の「峠の茶屋」から見下ろす茅野の市街地
杖突峠の「峠の茶屋」の「高遠そば」。焼き味噌と辛味大根をすりおろす
▲杖突峠の「峠の茶屋」の「高遠そば」。焼き味噌と辛味大根をすりおろす
杖突峠の「峠の茶屋」の「チーズパン」。コーヒーを飲みながら焼きたての「チーズパン」を食べる
▲杖突峠の「峠の茶屋」の「チーズパン」。コーヒーを飲みながら焼きたての「チーズパン」を食べる
国道152号の杖突峠
▲国道152号の杖突峠
高遠の町に入っていく
▲高遠の町に入っていく

『地平線通信』(第16回目)

2017年5月号より

九州、いや”十一州”一周5000キロ

●スズキの150ccバイク、ジクサーを走らせ、「中国一周3000キロ」(3月2日〜3月9日)にひきつづいて、「九州一周5000キロ」(4月20日〜5月1日)を走ってきました。

●さて九州一周ですが、普段、我々が使っている「九州」は「ちょっと違いますよ」といいたいのです。九州本土の旧国、筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後、日向、薩摩、大隅の9国に由来しての九州ですが、じつはそのほか壱岐、対馬の島国2国があるのです。ですから「十一州」と正確に呼ぶか、もしくは「五畿七道」のうち、九州の11ヵ国は西海道なので、「西海道」と呼ぶのがいいと思います。しかし今さら、「九州」を「十一州」とか「西海道」には変えられないでしょう。「九州女の深情け」が「十一州女の深情け」になったら、何が何だか、さっぱりわからなくなってしまいますよね。

●なぜ冒頭からこういうことを言うかというと、ぼくは日本を県単位で見るのではなく、旧国を強く意識して、旧国単位で見る方がはるかにおもしろいと思っているからです。我々日本人のDNAには千何百年間もの旧国の歴史がしみついているのです。たとえば静岡県は伊豆、駿河、遠江の3国から成ってますが、とくに大井川をはさんだ駿河と遠江は似ても似つかない世界です。隣の愛知県は三河と尾張ですが、三河生まれの世界企業のトヨタは長い間、国境をはさんだ尾張側には一切、工場を造りませんでした。その隣の岐阜県は美濃と飛騨ですが、「飛山濃水」といわれるように、ここも2つの国はまるで別世界です。

●ということでカソリ、「九州一周5000キロ」では徹底的に旧国を意識してまわりました。といってもこれがけっこう難しいのですよ。今の旧国には国府跡はあっても国府は残っていないし、国分寺跡はあっても国分寺は残っていないし…。そこで一宮に目をつけたのです。一宮は日本全国68ヵ国のすべてに残っています。2社以上の国もあるので、全部で110社(そのうち5社は新一宮)あります。

●一宮の千何百年という生命力のすごさ、その寿命の長さには驚かされてしまいます。おまけにどの一宮にも豊かな鎮守の森があり、それぞれの国では一番の自然の宝庫になっています。こうして「一宮めぐり」をしながら「九州一周5000キロ」を走ったのですが、魅力満載のスタンプラリーを楽しみながら九州を走るようなものでした。

●4月20日10時、東名の東京料金所を出発。150ccバイクというのは高速道路を走れる最小のバイクなのです。東名から名神→中国道→九州道と高速道路を走りつづけ、関門海峡を渡った門司港ICには24時30分に到着。1100キロを14時間30分で走ったことになります。それにしても痛いのは16900円の高速代。日本の高速道路は高すぎますよね。

●門司港の「ルートイン」に泊まり、翌日からは一宮めぐりを開始。まずは福岡市内の筑前の一宮、筥崎宮と住吉神社を参拝。つづいて筑後の一宮の高良大社へ。久留米郊外の高良山の中腹にあります。九州一の大河、筑後川を渡り、肥前の一宮、千栗神社と與止日女神社の2社をめぐりました。その中間に吉野ヶ里遺跡の吉野ヶ里歴史公園があります。

●筑前、筑後、肥前の一宮をめぐりを終えると、唐津東港からフェリーで壱岐の印通寺港に渡りました。壱岐の一宮は天手長男神社。じつは20年前の「50代編日本一周」で日本全国の一宮をめぐったのですが、68ヵ国の中ではこの壱岐の一宮が一番、消滅の危機にあると感じました。しかしそれは杞憂に過ぎなかったようで、社殿は新しく建て替えられ、境内も整備されていました。

●壱岐の郷ノ浦港から対馬の厳原港にフェリーで渡ると、あふれかえる韓国人旅行者の多さに圧倒されました。厳原に新しくできた「東横イン」に泊まったのですが、宿泊客の大半は韓国人。館内には韓国語が飛び交っていました。厳原から国道382号で北の比田勝に向かったのですが、韓国人サイクリストの車列は途切れることはありませんでした。国道から離れた対馬の一宮の海人神社はまったくの別世界で、まるで忘れ去られたかのように人一人、いませんでした。

●厳原港からフェリーで博多港に戻ると、熊本から鹿児島へ。熊本では肥後の一宮の阿蘇神社を参拝。熊本地震で社殿がつぶれた阿蘇神社ですが、拝殿の奥にある一の神殿(左)と三の神殿(中)、二の神殿(右)の本殿は残っていました。鹿児島では薩摩の一宮、川内の町中にある新田神社と開聞岳を目の前にする枚聞神社の2社、つづいて大隅の一宮の鹿児島神宮をめぐりました。鹿児島県というと誰もが薩摩を連想しますが、じつは薩摩と大隅の2国から成っているのです。

●日本本土最南端の佐多岬に立ったあと、九州の東側を北上し、日向、豊後、豊前の一宮をめぐりました。日向の一宮は都農神社、豊後の一宮は柞原神社と西寒田神社の2社です。柞原神社も西寒田神社も大分の市街地を間近にするところにありますが、境内の自然林のすごさには驚かされてしまいます。とくに柞原神社はまるで深山幽谷の地に入り込んだかのようで、入口の南大門の脇には樹齢3000年といわれる大楠が空を突いています。

●「九州一周」の一宮めぐりの最後は、豊前の一宮の宇佐神宮です。朱塗りの大鳥居に朱塗りの社殿。宇佐八幡で知られる宇佐神宮は、全国に2万4000社ある八幡神社の総本社なのです。宇佐神宮を最後に北九州に戻り、門司港の「ルートイン」に泊まりました。帰路は山陰道の国道9号で京都まで行き、京都から名神→東名と高速道路で東京へ。十一州にとことんこだわった「九州一周5000キロ」でした。(賀曽利隆)

壱岐の郷ノ浦港から九州郵船の「フェリーきずな」に乗り、対馬の厳原港に到着。ここから対馬最北の地に向かっていく
壱岐の郷ノ浦港から九州郵船の「フェリーきずな」に乗り、対馬の厳原港に到着。ここから対馬最北の地に向かっていく