30年目の「六大陸周遊記」[064]

[1973年 – 1974年]

赤道アフリカ横断編 13 アクラ[ガーナ] → アビジャン[コートジボアール]

国境へ

 1974年8月3日、ガーナの首都アクラからガーナ第2の都市クマシに戻り、そこからスニアニ、ベレクンを通ってコートジボアール国境に向かった。

 旧英領のガーナはイギリスと同じような左側通行の国だが、それを右側通行に変えようとしていた。それが翌日の8月4日のこと。町中や街道沿いのいたるところに、右側通行に変わるという案内板が立っていた。ガーナにとってはまさに歴史的な日だ。

「右側通行に変わりますよ!」の看板。クマシで
「右側通行に変わりますよ!」の看板。クマシで
ガーナ第2の都市、クマシ
ガーナ第2の都市、クマシ
ガーナ第2の都市、クマシ
ガーナ第2の都市、クマシ
ヤムイモを料理している。クマシの食堂で
ヤムイモを料理している。クマシの食堂で

 クマシからスニアニに向かっていくと熱帯雨林地帯に入っていく。森林の中の道を原木を積んだトラックが何台も通り過ぎていく。

 雨が辛い…。1日に何度となく降る雨にもうズブ濡れ。

 国連職員のアメリカ人の車でスニアニまで乗せてもらった。そこからは土砂降りの雨の中を歩き、やっとトラックに乗せてもらいベレクンへ。ベレクンの町からは残ったガーナのお金でバスに乗り、国境近くの村まで行った。

 国境を目指して歩く。幸い雨は上がったが、やがて日が暮れてしまう。夜道を歩く。とはいっても、まったく明かりがないので道なりに歩くのはけっこう難しい。すごくラッキーだったのだが、そんな夜道で国境の役人クワチさんの乗るワーゲンに乗せてもらえた。その夜はクワチさんの家で泊めてもらい、フーフーの夕食もご馳走になった。

原木を積んだトラック
原木を積んだトラック
コートジボアールへの道
コートジボアールへの道
ガーナとコートジボアールの国境
ガーナとコートジボアールの国境
旧仏領アフリカ最大の都市

 翌日はクワチさんと一緒に国境事務所に行き、ガーナを出国。

 クワチさんに別れを告げ、コートジボアール側の国境事務所に向かって歩いていく。その間は500メートルほど。コートジボアールの入国手続きも簡単なものだった。

 コートジボアールに入国。交通量は極めて少なく、ひたすら歩いた。半日以上歩き、やっとアベングロウまで行く車に乗せてもらえた。

 コートジボアールに入ると、熱帯の自然の恵みを強く感じる。

 森林を切り開いてつくったコーヒー園、バナナ園、パイナップル園を見る。キャッサバ畑も多い。

熱帯雨林地帯を行く。コートジボアール東部で
熱帯雨林地帯を行く。コートジボアール東部で
熱帯雨林地帯を行く。コートジボアール東部で
熱帯雨林地帯を行く。コートジボアール東部で

 コートジボアールの首都アビジャンに到着。

 アビジャンは旧仏領アフリカでは最大の都市。高層ビルが建ち並び、目抜き通りには洒落た店が軒を並べている。フランス人など欧米人の姿も多く見られた。

 コートジボアールは経済的に見ると、アフリカの優等生といわれていた。親西欧的な政策をとり、外国資本を積極的に受け入れていた。その結果、アフリカでも1、2の高い経済成長をとげていた。

 アビジャンでは「ベトナム・ホテル」という安宿に泊まった。アビジャンの町を歩き、日本大使館で『ケネディーの道』(シオドア・C・トレンセン著)を借り、ひと晩で読んだ。おもしろい本だった。

コートジボアールの首都アビジャン
コートジボアールの首都アビジャン
コートジボアールの首都アビジャン
コートジボアールの首都アビジャン
コートジボアールの首都アビジャン
コートジボアールの首都アビジャン
コートジボアールの首都アビジャン
コートジボアールの首都アビジャン
アビジャンの洗濯風景
アビジャンの洗濯風景
アビジャンでのビザ取り

 アビジャンから、セネガルの首都ダカールを目指す。

「アビジャ→ダカール」のうち、マリの首都バマコまでが陸路、バマコからダカールまでが鉄路というのが一般的なルートである。

 しかしこの内陸のルートは「アフリカ一周」(1968年~1969年)のときにスズキTC250で走っているので、今回はコートジボアールから海沿いのルートを行くことにした。

 コートジボアールからリベリア、シエラレオネ、ギニアを通ってセネガルに入るルートだ。

 アビジャンでのビザ取りの開始。

 リベリア大使館でリベリアのビザを取り、イギリス大使館でシエラレオネとガンビアのビザを取り、フランス大使館でセネガルのビザを取った。

 わずか半日で4ヵ国のビザを取ったのだ。

 この海沿いのルートで一番の問題はギニア。

 ギニアは旅行者の入国を一切認めていないので、ビザを取るのは極めて難しかった。だが、アビジャンにはギニアの大使館はなかった。リベリアのモンロビアにはあるというので、そこでトライすることにした。