新年のごあいさつ

みなさん、あけましておめでとうございます。

 昨年の「新年のご挨拶」では、「みなさ〜ん、日本全国の一宮をめぐりましたよ〜!」とお伝えしました。それにひきつづいて、2020年では、日本全国の旧国の国府をめぐる「国府めぐり日本一周」を成しとげました。「やったね!」という気分です。

10月23日、2020年のSSTRに出発。朝日の昇る大磯漁港(神奈川)からスズキSV650を走らせ下関へ。下関から日本海を北上し、能登半島の千里浜にゴール。最後は輪島から帰ってきた。12日間で3842キロ走ったカソリの2020年版SSTR
10月23日、2020年のSSTRに出発。朝日の昇る大磯漁港(神奈川)からスズキSV650を走らせ下関へ。下関から日本海を北上し、能登半島の千里浜にゴール。最後は輪島から帰ってきた。12日間で3842キロ走ったカソリの2020年版SSTR

 11月28日、「国府めぐり日本一周」の最後となる「九州一周」を終えて帰ってきました。4月10日に「北海道一周」を開始して以来、7ヵ月半をかけた「国府めぐり日本一周」でした。日本全国、「五畿七道」の68ヵ国をめぐりました。北海道を入れれば、「五畿八道」の78ヵ国になります。残念ながら北海道11ヵ国目の千島国には足を踏み入れられませんでした。正味63日間で2万5945キロを走った「国府めぐり日本一周」でした

 Vストローム250を走らせての「九州一周」は、北九州市の門司港を出発点にしました。反時計まわりでの九州一周。まずは筑前の国府めぐりから始めました。筑前の一宮の筥崎宮(福岡市)と住吉神社(福岡市)を参拝し、国府所在地の大宰府へ。壮大な規模の「大宰府政庁跡」を歩きました。ここは筑前の国府というよりも、西日本最大の都跡といった方がいいでしょう。筑前国の国府跡はよくわかってはいないようです。総社も不明。国分寺跡には「文化ふれあい館」がありますが、そこには七重塔の模型が建っていました。七重塔は国分寺のシンボルなのです。国分尼寺跡には案内板がポツンと立っているだけ。近くの国分公民館の前に礎石が置かれていました。国分寺跡の西側は水城跡。ここには唐・新羅の侵攻に備えてつくられた大規模な土塁と濠が残っています。

 最後に大宰府天満宮に行ったのですが、コロナ禍などどこ吹く風といったところで、西鉄の大宰府駅前からの参道はあふれんばかりの人の波。拝殿の前には長い列ができていました。人影もまばらな大宰府政庁跡と、参道を埋め尽くす人、人、人の大宰府天満宮。あまりにも対照的な大宰府の2つの顔でした。

 筑前につづいて筑後へ。九州一の大河、筑後川を渡って久留米の町に入っていきました。久留米が筑後の国府所在地。まずは久留米の町並みを見下ろす高良山に登り、筑後一宮の高良大社を参拝しました。そのあとで山裾のJR久大本線の久留米大学駅に行きました。駅前には国府跡の「横道遺跡」の碑が建っています。駅の近くにある小さな祠の味水御井(うましみずみい)神社は筑後の総社。国道210号を越えた合川にある合川保育園前の広い草地は筑後の国府跡。国府は筑後に限らず、時代とともに変遷しているところが多いのです。最後に県道752号沿いの国分町へ。国分寺にちなんだ「国分」の地名がしっかりと残っています。国分日吉神社に隣接して国分寺跡があります。現行の国分寺もあります。国府、総社、国分寺が「国府めぐり」の3点セット。この3点セットを探しまわり、見つけていくのが「国府めぐり」の一番のおもしろさといっていいでしょう。

 久留米から筑後川を渡って佐賀県に入りました。筑後川が筑後・肥前の国境になっています。肥前の一宮、千栗(ちりく)八幡宮と與止日女(よどひめ)神社を参拝したあと、肥前の「国府めぐり」を開始。長崎道の佐賀大和ICのすぐ近くに国府跡があります。南門が復元され、前殿、正殿、後殿の跡を見てまわりました。西脇殿跡、東脇殿跡もあります。国府跡の「肥前国庁跡資料館」を見学。ビデオでは肥前の国庁(今でいうところの佐賀県庁)を詳しく紹介していますが、中央から送られてくる国司(今でいうところの佐賀県知事)が絶大な力を持っていたことがよくわかります。国府跡の近くには国分寺跡、国分尼寺跡があります。総社は廃絶していました。国府跡から国分尼寺跡、国分寺跡を通る細道は古代の西海道なのです。

 佐賀からは背振山地の観音峠を越えて唐津へ。唐津東港からフェリーで壱岐の印通寺港に渡り、壱岐の国府をめぐました。

 壱岐の郷ノ浦港からは対馬の厳原港にフェリーで渡り、対馬の国府をめぐました。

 厳原は対馬の国府所在地ですが、3年前の「70代編日本一周」で来たときは韓国人旅行者であふれがえしていました。それが今回はまるでフーッと吹き消したかのように、韓国人旅行者は消えていました。

 厳原からフェリーで博多港へ。福岡に戻ると、肥後の国府(熊本市)、薩摩の国府(薩摩川内市)をめぐり鹿児島へ。鹿児島からは大隅の国府(霧島市)、日向の国府(西都市)、豊後の国府(大分市)、豊前の国府(みやこ町)をめぐって出発点の門司港に戻ってきたのです。「九州」といいますが、このように本土の9ヵ国と、壱岐、対馬の島国2国があるので、九州は「十一州」なのです。

 最後の国府となった豊前の国府は、「京都(みやこ)郡みやこ町」にあります。旧豊津町は合併してみやこ町になりましたが、郡名にしても町名にしてもすごい地名ではないですか。まさに「ここが豊前の都ですよ」といっているようなものです。整備された国府跡の豊前国府跡公園では毎年、「豊前国府まつり」が開かれています。千何百年もの歴史を越えて、国府は今の時代でもしっかりと生きつづけ、大いなる誇りになっているのです。

「日本は旧国で見ていくのがおもしろい!」
 と、改めてそう思わされた「国府めぐり日本一周」でした。

「国府めぐり日本一周」の最後を飾る「九州一周」の帰路でVストローム250は、15万キロを突破しました。

11月28日、宍粟市(兵庫)の国道29号で、Vストローム250、15万キロ達成!
11月28日、宍粟市(兵庫)の国道29号で、Vストローム250、15万キロ達成!

 70歳の誕生日を迎えた日、2017年9月1日に出発した「70代編日本一周」から3年3ヵ月での15万キロ突破です。今年は20万キロキロを目指します。

「国府めぐり日本一周」を終えて、新たなステージに立ったような気分のカソリ、今年も新たな発想で日本を世界を駆けまわりたいと思っています。

2021年1月1日
賀曽利隆