30年目の「六大陸周遊記」[016]

[1973年 – 1974年]

アフリカ南部編 2 ポートルイス[モーリシャス] → サン・デニ[レユニオン]

うまいマグロの刺し身!

 モーリシャスのポートルイスは大西洋のラスパルマス、南太平洋のサモアと並んで日本のマグロ漁業の三大基地のひとつで、日本の漁業会社もある。無性に日本の新聞を読みたくて、海辺にある日系の漁業会社に行った。会社の人たちはいやな顔もせずに、何日か遅れの朝日新聞を見せてくれた。

 今、世界で何が起きているのかは、モーリシャスでも英字新聞を買って読めばわかる。しかし、それには日本のニュースはのっていない。日本のニュースを知ってべつにどうということもないのだが、やはり心の片隅にはいつも自分の国、日本があるからなのだろう。

 それにしても強烈な新聞記事だった。第4次中東戦争に端を発した石油危機は世界中を不安のどん底にたたき落とし、とくに石油の大半を中東から輸入している日本はもろにその影響を受け、モノ不足で日本人が右往左往しているという内容の記事だった。

 信じられない。ぼくが「六大陸周遊」に出発したころは、日本中が「昭和元禄」だといって浮かれていた。日本は得意の絶頂にあった。あれからわずか4ヵ月しかたっていないというのに、「石油ガブ飲みの国・日本」は奈落の底にたたき落とされた。日本から遠いインド洋の島にいながら、日本の時代が終わったことを思い知らされた。

 新聞を読みおわると、漁業会社の人が「よかったら、どうぞ」といってマグロの刺し身を出してくれた。ワサビ醤油につけて食べたポートルイスのマグロの刺し身はとびきりうまかった!

ポートルイスの市場を歩く
ポートルイスの市場を歩く
ポートルイスの市場を歩く
ポートルイスの市場を歩く
ポートルイスの市場を歩く
ポートルイスの市場を歩く

最北端のマウレ岬

 ポートルイスのバスターミナルから海沿いの道経由で最北端のマウレ岬に行く。その途中の海があまりにもきれいだったので、バスを飛び降り、しばらくは海岸を歩いた。真っ青な海。抜けるような青空。真っ白な砂浜。青と白の世界をバックに咲く火炎樹の真っ赤な花はひときわ目立った。

 マウレ岬の突端は岩がゴツゴツした磯。目の前には黒々とした島が横たわっている。ズボンをまくり上げ、海の中に足をつけた。インド洋の感触がたまらない。しばらく海で戯れ、そのあとは岬近くの草原で昼寝した。なんともいえず気持ちのよい昼寝だった。

モーリシャス島北部の海岸
モーリシャス島北部の海岸
火炎樹の花
火炎樹の花
マウレ岬近くで出会った少年
マウレ岬近くで出会った少年
モーリシャス岬最北部のウマレ岬
モーリシャス岬最北部のウマレ岬

「あぶない!」

 バスでマウレ岬からポートルイスに戻り、町をプラプラ歩いているときのことだ。

「マイフレンド、ユー、ジャパニーズ?」
 と、インド系の男に声をかけられた。

「ビールでも一緒に飲まなか。私、日本人が大好きだ」

 そんな調子のいいインド系の男と中国人が経営する食堂に入った。彼は「私の名前はムスターファ」と自己紹介すると、注文したビールをついでくれた。そのときの彼の異様なほどに暗い目の光に、一瞬、ギョッとした。そして「あぶない!」と思った。これは旅人としての本能的な直感だ。

 コップのビールをゆっくりと飲み干すと、さっと腰を上げ、「これからバスに乗らなくてはならないので…」といって立ち上がった。ムスターファはとっさにぼくの腕をつかもうとしたが、それを振り払った。彼はいまいましそうな目でぼくを睨み付けると、「ユーアークレバー(あんたは賢いよ)」と捨てぜりふをはいた。

 彼が何をねらったのか、またどのようにしようとしたのか、そのあたりはわからなかったが、この類の連中は世界中にいる。ぼくも今までの旅の途中、シンガポールで、韓国で…と、金をだまし取られたことがある。それも「あんたは友達だ」といわれたあとでのことだった。そのときは人が信じられなくなり、自分自身のバカさ加減に腹が立ったが、そのような旅人としての経験を積むと、初めての人でも会った瞬間にその人間が危ないかどうかがわかってくるものだ。

モーリシャス島の最南端へ

 もうそろそろモーリシャス島を離れようと思った。次の島、フランス領のレユニオン島とマダガスカル島に向かうのだ。ポートルイスの中心街にある旅行社「ロジャー・カンパニー」に行く。この会社がモーリシャスに乗り入れているすべての航空会社、BOAC、SAA、エールフランス、エアーインディア、東アフリカ航空、そしてエアーモーリシャスのエージェントになっている。

「パース→ヨハネスバーグ」のぼくのエアーチケットでフランス領レユニオンとマダガスカルのタナナリブにストップオーバー(途中降機)できるようにしてもらった。フランス領レユニオンはビザが必要ないので、エアーチケットの手続きをしてもらうと、「ロジャー・カンパニー」のすぐ近くにあるマダガスカル大使館に行き、その場でビザを発給してもらった。これで用意はすべて整った。

 ポートルイスを離れたのは夕方。今度はモーリシャス島の南部をぐるりとまわってプレゾンス国際空港まで行こうと思った。まずはバンブウ行きのバスに乗った。終点のバンブウに着いたときはすでに日が暮れ、あたりは暗かった。

 バンブーは小さな村。村外れで野宿したが、夜中に何度も犬に吠えられた。モーリシャスの犬はほんとうにうるさい。

 翌朝、目をさましたときは晴れていた。しかしその後、急に曇り、雨が降り出した。それもつかの間で、30分ほどでやみ、そのあとは青空が広がった。それとともに一気に暑くなる。バンブーからはモーリシャス島南岸のベイデカップ行きのバスに乗り、海沿いの道を行く。きれいな海岸の風景がつづく。塩田も見られる。

 ベイデカップでモーリシャス島最南端のスーイラック行きのバスに乗り換える。一面のサトウキビ畑。途中には3ヵ所に製糖工場があった。モーリシャス経済は砂糖一色。輸出の9割が砂糖。モーリシャスは砂糖に浮かぶ島なのだ。世界地図でモーリシャスを探すのはなかなか難しい。それほど小さな島だが、砂糖の輸出は世界でも10位内に入っている。

モーリシャス島南部への道
モーリシャス島南部への道
モーリシャス島南部の海岸
モーリシャス島南部の海岸
モーリシャス島南部のサトウキビ畑
モーリシャス島南部のサトウキビ畑

モーリシャス島を離れる

 ポートルイスから110キロ、モーリシャス島最南端の町、スーラックに着いた。ここからはマヘブール行きのバスに乗り、空港の近くで降りた。空港までは歩いた。頭上の太陽はギラギラ輝いている。南緯20度のこの島は夏の盛りで、汗がドクドク噴き出るほどの厳しい暑さ。空港に到着。空港のターミナルビルはガラーンとしていた。飛行機の出るまでには、まだかなりの時間があった。そこでベンチに横になり、しばらく眠った。人のざわめきで目をさます。パリから来たエールフランス機が到着したのだ。寒さの厳しい冬のヨーロッパからやって来た乗客たちは、ほとんどの人が厚手のオーバーを手にしている。なにか、異様な集団を見る思いがした。

 フランス領レユニオンのサン・デニ行きは18時30分発のAF・MK(エールフランス・エアーモーリシャス)464便。ぼくのチケットには予約が入っていないので、乗れるかどうか、わからない。出発2時間前になって、エアーフランスのカウンターが開いた。すでに予約の乗客で満員。ぼくはウェイティングリストに入れられた。出発直前になって、ギリギリで席がとれた。ラッキー!

 AF・MK464便のB707型機は定刻どおりにモーリシャス島のプレゾンス国際空港を飛び立った。満員の乗客。空席は1席もなかった。乗客たちは手に手にモーリシャスで買った日本製のトランジスターラジオやテープレコーダーを持っていた。レユニオンよりもモーリシャスの方がはるかに安く買えるのだという。

レユニオン島に到着

 モーリシャス島を飛び立った飛行機はあっというまにフランス領レユニオン島のジロ国際空港に着陸した。飛行時間はわずかに35分。12月19日の19時05分のことで、すでにあたりは暗かった。

 レユニオン島はモーリシャス島、ロドリゲス島とともにマスカーリン諸島と総称される。面積は2510平方キロでモーリシャス島よりも大きく、日本でいうと神奈川県を少し大きくしたほどの面積。モーリシャス島の南西約200キロの位置にある。人口47万人。首都はサン・デニだ。

 空港のイミグレーション、カスタムの係官はフランス人で、入国手続きは簡単なものだった。サン・デニの町までは歩いていく。だが、町までは15キロあるとのことで、空港の端まで来たところで草の上にシュラフを敷いて野宿することにした。

 シュラフにもぐり込み、眠りに落ちかけたとき、耳をつんざくような金属音とパーッと投げかけられたまばゆいばかりの光の束に思わず飛び起きた。ぼくがモーリシャス島から乗ったエールフランス機が離陸したのだ。自分の顔のすぐ上を飛んでいった。あまりの轟音に心臓が止まるような思いをした。エールフランス機はフランス領ソマリーランドのジブチを経由してパリに向かう。飛行機が飛び去ってしまうとふたたびあたりには静寂が戻った。

 夜が明ける。シュラフの中から這い出し、素早くシュラフを丸めると、サン・デニの町を目指して歩きはじめる。サンデニは白い家並みがつづく海辺の町。車が多い。オーストラリアでもモーリシャスでも見慣れた日本車は完全に姿を消し、ルノーやプジョー、シトローエンといったフランス車が走っていた。しかしバイクは大半が日本製だった。

物価の高いレユニオン

 サン・デニに着くと、まっすぐに銀行に行った。空港では両替できなかったので、レユニオンの通貨、CFAフランを一銭も持っていなかった。

 銀行では南アフリカの通貨ランドを両替した。2ランドで600CFAフラン。ずいぶんと損をした。日本を出発するときは銀行で1ドル268円のレートでUSドルのトラベラーズチェックに替えた(このときのレートは1ドル264円)。オーストラリアに入ってUSドルをオーストラリアドルに両替すると、1USドルが0・67オーストラリアドル(このときのレートは1USドルが0・70オーストラリアドル)。ここでも損をした。

 オーストラリアを離れるときにオーストラリアドルをランドに替えたのだが、このときはレート通りで1オーストラリアドルが1ランド。そのランドをレユニオンで替えると1ランドが300CFAフラン。レート通りだと311CFAフランになるのだ。円→USドル→オーストラリアドル→ランド→CFAフランと両替するたびに損をしたことになる。

 CFAフランを手にしたので、さっそく食べ物を求めて店に入った。そこは中国人の店。フランスパン2本とマーガリン、タマネギ3個を買っただけで280CFAフラン。約300円。モーリシャス島に比べると、物価ははるかに高い。

レユニオン島のサン・デニへの道
レユニオン島のサン・デニへの道
サン・デニ郊外の墓地
サン・デニ郊外の墓地
サン・デニの中心街
サン・デニの中心街
サン・デニの要塞跡
サン・デニの要塞跡

レユニオン島一周

 フランスパンにマーガリンをつけてかじる。タマネギも生かじり。そんな食事をすませると、「レユニオン島一周」に出発した。モーリシャス島と同じようにバスでまわる。物価の高いレユニオンなので、バス代もモーリシャスに比べるとはるかに高い。島の北側のセン・デニから100キロ離れた島の南側のサン・ピエールまでは380CFAフラン(約420円)だった。

 レユニオン島の形はきわめて単純でだ円形をしている。幹線道路も島を一周するルートと横断するルートの2本だけ。自然はモーリシャス島と比べるとはるかに雄大で、2000メートルから3000メートル級の山々が島の中央部にそびえている。最高峰は活火山のビント・デネージュ山で標高3069メートル。島中央部を流れる川は深い峡谷をつくっている。

 サン・デニを出てから3時間ほどでサン・ピエールに着いた。ここはレユニオン南部の中心地。町を歩く。インド人が多い。きれいなビーチで見るすばらしい夕焼け。夕日に染まったインド洋で何人かの人たちが泳いでいる。やがて空も海も金色に輝き、大きな夕日はインド洋の水平線に落ちていく。太陽が沈んだあとも、西の空は光り輝いていた。そのままずっと浜辺で夕空を見た。残照が消えると、満点の星空。降るような星を見上げながら砂浜で野宿した。

 翌朝は6時発のサン・ベノア行きのバスに乗った。サン・ベノアはレユニオン島東部の町。レユニオン島もモーリシャス島と同じようにサトウキビ畑が多く見られる。耕地面積のじつに7割がサトウキビ畑だという。

 サン・ベノアに着くと町を歩き、市場を歩いた。そしてバスに乗り、「レニオン島一周」を終えてサン・デニに戻ってきた。

 レユニオン島を一周してみて感じたのは、あたりまえのことだが「ここはフランスの植民地だ」ということ。植民地というのはどこでもそうだが、旅するのにはあまりおもしろいところではない。レユニオン島のいたるところにフランスの国旗が揚がっている。一番上にはフランス人がいて、中間にはこの島の商業を牛耳るインド人、中国人がいて、その下に肌の黒いアフリカやマダガスカル、コモロから移り住んだ人たちやその混血がいる。

 どうすることもできない厚い人種の壁がある。人種の違いによる社会の階層を見せつけられる。そのような現状を見せつけられると、知らず知らずのうちに心が重くなってくるのだった。そんな重い気持ちを振り払うかのように、次の島、マダガスカル島に渡った。

バスでレユニオン島を一周する
バスでレユニオン島を一周する
バスでレユニオン島を一周する
バスでレユニオン島を一周する
レユニオン島南部の中心地、サン・ピエールの市場
レユニオン島南部の中心地、サン・ピエールの市場
レユニオン島の海
レユニオン島の海
レユニオン島の海
レユニオン島の海
レユニオン島の海
レユニオン島の海