30年目の「六大陸周遊記」[002]

アジア編 02 タンジュンカラン[インドネシア]→ ロンボク港[インドネシア]

ジャワ島横断、列車の旅

 スマトラ島南端のタンジュンカランからはテレクベトゥン、パンジャンと3つの町がつながっている。そのうちのパンジャンからジャワ島へ、連絡船が出ている。

 8月27日、夜明けとともに、バスでパンジャン港に向かった。朝焼けで、東の空は色鮮やかに燃えていた。ジャワ島のメラック港行きの連絡船は11時出港だというのに、すでに大勢の人たちが列をつくって並んでいた。

 港には連絡船の乗客相手の露店が何軒も出ていた。そんな露店のひとつで朝食にする。地面に座り、おかずつきの飯を3杯、食べた。1杯が25ルピア(約20円)。8時には連絡船の切符が売り出される。400ルピア(約330円)だった。10時、乗船。11時、連絡船は定刻通りにパンジャン港を出港した。小島がいくつか見える。どの島も濃い緑で覆われている。

 連絡船はスマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡を行く。真っ青な海だ。船内ではポルトガル人の旅行者に会った。オリベイラさんという66歳の人。ぼくと同じように、ズッシリと重いザックを背負って世界をまわっている。頭こそすっかりはげ上がっているが、話していると、66歳という歳をすこしも感じさせない。

 オリベイラさんは日本にも来たことがある。2ヵ月ほど滞在し、北は稚内から南は種子島までまわった。「ここがよかった、あそこがよかった」と、日本各地の地名がポンポンとオリベイラさんの口から飛び出してくる。「日本を旅するのは鉄道が一番」「日本の中では東北が一番」ともいっていた。

 前方のジャワ島が次第に大きく見えてくる。スマトラ島との見かけの違いの大きさに驚かされてしまう。海から見るスマトラ島はしたたるような緑色。ところがジャワ島は茶色一色だ。開発の違いもあるだろうが、それ以上に気候の違いが大きいようだ。スマトラ島はほぼ一年中、雨の降る熱帯雨林気候。それに対してジャワ島は雨期と乾期がはっきりと分かれるサバンナ気候。8月というと、ジャワ島は乾期の最中なのだ。

 スマトラ島のパンジャン港から5時間で、連絡船はジャワ島のメラック港に到着した。港に隣接してバス乗り場がある。客引きに引かれるままに、ぼくとオリベイラさんはジャカルタ行きの急行バスに乗った。ジャカルタに着いたときには、すでにとっぷりと日は暮れていた。バスターミナルでオリベイラさんと別れ、中心街を歩いたが、インドネシアの首都とは思えないほどの暗さだった。1000ルピア(約825円)払って「HOTEL SEMARANNG」に泊まったが、ひと晩中、蚊にやられた…。

 インドネシアからはポルトガル領ティモール経由でオーストラリアに渡るつもりにしていたので、翌朝はジャカルタのポルトガル領事館にビザをもらいに行った。そこでは別れたばかりのオリベイラさんと再会した。

 さらにそこではイギリス人旅行者のデビッドにも再会した。なんという偶然。彼は28歳で、マレーシアのペナン空港で会った。デビッドはきれいにひげをそり、世界を長く旅しているとは思えないほど、こざっぱりしていた。彼もメダンに渡り、スマトラをバスで横断するというので、話がはずんだ。デビッドはバスでスマトラ島を横断したあと、パンジャン港から夕方の連絡船に乗り、ジャワ島に渡ったのだという。ぼくたちはポルトガル領事館近くのカフェで夢中になって旅の話をした。

 ポルトガル領ティモールのビザを発給してもらうと、オリベイラさんとデビッドに別れを告げる。デビッドには「私もタカシと同じように、これから島づたいに東に行く。そしてポルトガル領ティモールからオーストラリアに渡るつもりにしているので、またどこかで会えるかもしれないな」といわれた。オリベイラさんには「ポルトガルに来たときには、ぜひとも我が家に寄りなさい」といってポルトガル北部の港町、ポルトの住所を書いてくれた。

 ジャカルタのガンビール駅から16時50分発のスラカルタ行き急行列車に乗り、ジャワ島中部のジョクジャカルタに向かった。車窓を流れていく風景はスマトラ島とは大違いで、きれいに耕された水田がつづく。ジャワ島はアジアでも有数の人口密度の高いエリアなのだ。やがて日が暮れ、そのような田園風景も闇の中に溶け込んでしまう。

 ジョクジャカルタ到着は午前3時37分の予定。乗り過ごさないようにと、緊張していたので、おちおち寝てもいられない。ところが4時になっても、5時になってもジョクジャカルタには着かない。そのうちに夜が明てしまう。列車がジョクジャカルタ駅に到着したのは、4時間遅れの8時前のことだった。

ボロブドール遺跡

 なぜ、ジョクジャカルタ駅で下車したかというと、カンボジアのアンコールワットと並び称される東南アジア屈指の仏教遺跡、ボロブドールに行ってみたかったからだ。ボロブドール遺跡はジョクジャカルタの北西約50キロのところにある。

 バスに乗り継ぎ、ボロブドール遺跡へ。入場料の25ルピア(約20円)を払って石段を登っていく。英語の案内板には、「ボロブドール遺跡は9世紀に造られたもの。8層から成る安山岩の建造物で高さは32メートル。一番下の正方形の壇の一辺は128メートル。全部で72のストーパ(仏塔)があり、最上部のストーパが最大」と書かれていた。

 東南アジア屈指の仏教遺跡といっても、訪れる人は少なく、ピラミッド状の遺跡を独り占めにしているような気分だ。ボロブドール遺跡のてっぺんからの眺めはすばらしいもので、北東にメラピ山(2911m)、北西にスンビン山(3371m)、南西にメノーレ連山を望み、山々に囲まれた盆地にはココヤシが茂り、畑ではタバコが盛んに栽培されている。そんな眺望を目に焼きつけたあとで、ボロブドール遺跡のてっぺんで昼寝した。

 ジョクジャカルタ駅に戻ると、列車でスラバヤへ。ジャワ島では首都のジャカルタに次ぐ第2の都市だ。ここでひと晩泊まり、翌日、バニュワンギに列車で向かった。厳しい暑さ。車窓からはポツン、ポツンと富士山形の火山を見る。地図を見ると、それらの火山はどれも3000メートルを超えている。山岳地帯に入ると、松林を多く見かける。山の斜面を切り開いたコーヒー園もところどころで見る。

 途中の停車する駅では、ものすごい物売りの攻勢。あまりのすごさに、列車の扉は閉められたまま。ジャワ島東端のバニュワンギ駅に到着したのは、スラバヤ駅を出てから7時間後のことだった。すでに日はすっかり暮れていた。

 ここから次の島、バリ島に渡る。スマトラ島とジャワ島は大スンダ列島になるが、バリ島からは小スンダ列島になる。今度は小スンダ列島の島々を東へ、東へと進んでいく。

ウォーレス線を越えて

 ジャワ島東端のバニュワンギ駅前からバスでフェリー乗り場へ。10分ほどの距離だ。フェリー乗り場では、夜のバリ海峡を見る。対岸にはバリ島の灯。バリ島のギリマヌク港行きのフェリーは、それほど大きなものではなかった。5台のトラックと7台の乗用車、1台のバスでいっぱいになる。積み残されたトラックが、かなりの台数になった。

 夜のバリ海峡を渡り、バリ島のギリマヌク港に上陸。すぐさまバスで島の中心のデンパサールへ。さすがにインドネシア一の観光地、バリ島だけあって、デンパサールには高層ホテルが建ち並んでいた。ぼくはといえば、裏町の1泊400ルピア(約330円)の安宿「HOTEL CHANDRA」に泊まった。

 バリ島の朝は早い。まだ暗いうちから町はにぎごわいはじめる。バスやトラック、ベモ(軽自動車の乗合タクシー)、バイク、馬車がけたたましい警笛を鳴らして大通りを走り過ぎていく。

 デンパサールからはバスで次の島、ロンボク島への船が出るパダンバイへ。

 パダンバイの海の色は目がさめるよう。浜辺には色とりどりに塗られたカラフルな漁船がずらりと並べられていた。砂浜を歩き、岬近くで裸になり、色鮮やかな海で泳いだ。

 港の前には食堂が1軒、あった。中国の海南島出身の育我(イーウォア)さんの食堂。ここで100ルピア(約80円)のナシゴレン(焼き飯)を食べた。店にはほかには客もなく、船が出るまでの間、育我さんはぼくの話し相手になってくれた。中国語の簡単な会話を教えてもらったりもした。育我さんは中国には帰るつもりはないといっている。インドネシアが「私の故郷」ともいった。華僑は強い!

 14時出港と聞いていたロンボク島行きの船は、予定を変更し、11時に出港。あやうく乗り遅れるところだった。船はパダンバイの桟橋を離れると、ロンボク海峡に出ていく。後方のバリ島の山々は厚い雲に覆われていたが、前方の洋上には雲ひとつない。沖の小島には見事な潮吹き岩があった。波が島にぶつかるたびに、岩間からはまるで噴水のように、ピューッと潮が吹き上げた。

 バリ島からロンボク島までは7時間の船旅。波が荒くなり、船は大揺れに揺れ、乗客の大半は船酔いをした。みんなグッタリし、あちこちでゲーゲーやっている。船酔いとは無縁のぼくだけが1人、元気だった。

 バリ島とロンボク島の間のロンボク海峡は水深が深い。世界の生物分布の重要な境界線であるウォーレス線は、このロンボク海峡を通っている。イギリスの生物学者ウォーレス(1823〜1913年)が提唱したこの線を境にして、西側を東洋区、東側をオーストラリア区とした。ウォーレスさんの説によれば、ぼくは今、アジアからオーストラリアに入ろうとしているのだ。

 船はロンボク島のアンペナン港を目指した。夕方、アンペナンの町並みが見えてきた。港には桟橋がなく、何隻ものはしけが船に横づけされる。乗客は我さきにとはしけに乗り移る。はしけは満員の乗客を乗せ、浜辺へ。波が引いた瞬間に飛び降り、すぐさま走る。グズグズしていると、寄せる波をかぶり、全身ずぶ濡れになってしまう。

ロンボク島を西から東へと横断

 アンペナン港の出口では、パスポートチェックがあった。警官にその台帳を見せてもらうと、デビッドの名前があった。彼はぼくより1日早く、昨日、アンペナン港に着いていた。ロンボク島で彼に再会できるかもしれないと思った。

 アンペナンでは、かわいらしい女の子の客引きに手をひかれ、彼女の家でやっている民宿に泊まった。1泊150ルピー(約120円)という安さだ。おまけに夕食は家族と一緒にいただいた。食事代はタダ。夕食後は彼女の部屋で、日本の歌のカセットを聞いた。

「私、大好きなの」といって、吉永小百合の歌も聞かせてくれた。翌朝は彼女の見送りを受けて出発したが、なにか、後ろ髪を引かれるような思いだった。

 アンペナンからロンボク島の中心、マタランまでは町つづき。目抜き通りには、中国人の店が建ち並んでいる。

 マタランからは、ベモに乗ってロンボク島を西から東へと横断する。島の東側にはリンジャニ火山(3726m)のスーッと延びる裾野が広がっている。裾野はそのまま、海へと落ちている。荒涼といた風景で、人も少ない。

 ロンボク島の東側にあるロンボク港から、次の島、スンバワ島に船が出ている。切符を買うときにパスポートをチェックされたが、そこでデビッドがぼくよりも先にスンバワ島に渡ったことを知った。

 スンバワ島行きの船の出港時間になった。ロンボク港にも、アンペナン港と同じように桟橋はない。靴を脱ぎ、ズボンをまくり、泥浜にズボズボもぐりながら歩いた。水辺に置かれた小舟に乗り、沖に停泊している船に乗り移った。船はエンジンを始動させ、錨を上げて動きだす。ロンボク島とスンバワ島の間のアラス海峡を行く。ロンボク島は次第に遠くなっていったが、リンジャニ火山はいつまでも水平線上に小さく見えていた。

カソリング34号 2003年3月1日発行より