賀曽利隆の観文研時代[37]

常願寺川(5)

芦峅寺を流れる常願寺川。正面に立山が見えている
芦峅寺を流れる常願寺川。正面に立山が見えている

 東京を出発してから15時間後の19時に立山山麓の芦峅寺に着いた。ホンダXL250のメーターを見ると474キロ走ったことを示している。

 まずは宿探し。雑貨店に入り、宿を聞くと、ここには旅館はないが民宿は何軒かあるという。その店の斜め向かいが「大仙坊」という昔からの宿坊で、今は民宿をやっているという。

「ぜひともそこに泊まりたいのですが」
 というと、雑貨店の主人はわざわざ「大仙坊」まで連れていってくれた。

「大仙坊」の若奥さんは明るい感じの人。快く泊めてもらい、2階の奥まった部屋に通された。

「まあ、オートバイで東京から。それは寒かったでしょう。すぐにお風呂をわかしますからね」

 そう言うと、電気ごたつのスイッチを入れ、石油ストーブに火をつけてくれた。

 部屋の床の間には「百福」と書かれた掛軸がかかり、その下には兜と菊の花を生けた花瓶が置かれていた。カーテンを開けて常願寺川を見ようとしたが、暗くて見えなかった。「お風呂が沸きましたよ〜」

 さっそく湯に入ったが、15時間も冷たい風に吹かれて冷え切った体はなかなか元に戻らなかった。

 お風呂から上がると夕食。熱燗の日本酒が1本、ついていた。べつに頼んだわけでもないし、「お酒を飲みますか?」と聞かれたわけでもないので、越中人の心のやさしさにうれしくなってしまう。

 夕食のおかずには「とろろ」があった。

「これはからつもん(唐津物。焼き物のすり鉢のこと)でよくすって、卵を混ぜ、味噌汁でのばしたものです。かね(おろしがね)を使うと、どうもおいしくないですね。お口に合えばいいのですが」

 とろろはあたたかなご飯によく合った。素朴な味覚に大満足。それとおもしろかったのは「からつもん」だ。東京あたりだと「せともの(瀬戸物)」になるが、それが「からつもん(唐津物)」と呼ぶあたりに西の文化を感じるのだった。