賀曽利隆の観文研時代[32]

福田晴子さんの本

宮本千晴監修・福田晴子著の『宮本常一の旅学 観文研の旅人たち』(八坂書房)

 今日(2022年8月1日)、福田晴子さんから下記のようなご丁寧なお手紙とともに、7月25日に刊行されたご著書の『宮本常一の旅学 観文研の旅人たち』(八坂書房)が送られてきました。福田さんの宮本常一先生への想い、1989年に解散した日本観光文化研究所(観文研)への想いの深さが散りばめられた1冊です。

 まずは福田さんからいただいたお手紙を紹介しましょう。

 このたび、かねてからご協力をいただいておりました旅学と観文研の実践に関する書籍が、『宮本常一の旅学 観文研の旅人たち』としてようやく完成し、発行に至りました。

 皆様には大変長らくお待たせすることになりまして、ご心配・ご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。もはや呆れておられた方も多いかと存じます。これまで何年もの間、私のほうでは一時たりとも忘れぬどころか、常に本書のことばかりを考え続けてまいりました。観文研について、外から一部分を覗いただけで何をどう書くのか、すでに『観文研二十三年のあゆみ』という網羅的で完璧な本があり、かつ多くの方がご自身の著書をお持ちの中で、私が介在する意味はあるのか。数百人に及ぶ関係者の方々や素晴らしいエピソードのすべてを書き切ることは叶わず割愛は免れないが、どうまとめるべきか…。思いがけぬ難産となりました。

 しかし、旅雑誌『あるくみるきく』の面白さ、愉快で知的な「観文研」という場のユニークさ、そして「歩く旅」の価値は、今こそ見直して伝えていきたいものであります。旅、独学、人材育成、組織論など、さまざまな視点に活かせるヒントと、引用や取材から得た金言に満ちた1冊として、未来への橋渡しができましたら幸いです。

『宮本常一の旅学 観文研の旅人たち』は第1章の「宮本常一の旅学」、第2章の「旅人の肖像」、第3章の「旅学の技術」、第4章の「旅学の結晶」、第5章の「旅の影」、第6章の「いま旅学を問う」から成っています。

 福田晴子さんは「はじめに」で、次のように書いています。

 高度成長めざましい昭和の日本に、レールを外れ、旅に歩きまわる若者たちがいた。旅は家に帰ってほっとするところに意味がある、などとも言われる。ところがこの若者たちは帰った途端うずうずして、またすぐに出ていってしまう。家より旅に比重がある、筋金入りの旅人気質なのだ。

 そんな若者たちが誘われたのが、民俗学者・宮本常一のもとでの「旅して学ぶ」という社会実験だった。実験は「日本観光文化研究所(観文研)」という名がついた研究所でおこなわれた。社会からはみ出して貧乏旅行をくり返す人々が、類は友を呼ぶように、水が流れ込むようにして集まってきた。観文研では、著名な学者を集めるかわりに、若者たちに幾らかの金と居場所を与えた。そして「さあ、存分に歩け!」と野に放ったのである。

 本書は、現在六十代から八十代の知識人となられたその方々からお聞きした話をもとに、「旅学」なるものを長い目で考察してみようという試みである。(後略)

 この福田晴子さんの『宮本常一の旅学 観文研の旅人たち』の第2章「旅人の肖像」に賀曽利隆が登場しています。福田さんのインタビューは時間をかけ、繰り返し、じつに丹念におこなわれました。その「賀曽利隆編」の最後の締めの部分を読んでいただきましょう。

 (前略)
 賀曽利隆の旅の師匠は宮本常一と並び、松尾芭蕉だという。

「『奥の細道』での行動は、今の時代で言うとバイクツーリングと似通った部分があるんですよ。芭蕉は1日40キロ近く歩きますからね。普通の旅人が歩ける最長くらいの距離を毎日歩き通していて、その中であれだけの記録を残している。よっぽど強い精神力と体力がなくちゃできないことだし、それを支えるのはやっぱり『見てやるぞ!』という気持ちでしょ。

 なぜ旅をするのかと言えば、『奥の細道』は本当にいいテキストですよね。芭蕉はきっと、平泉の向こうの、もっと遠く、蝦夷地を見たかったはずです。僕にとっても、すべてはもう、『あの向こうへ!』なんです。目の前にある世界の向こうへ、行きたいんです。今でもその気持ちは萎えてないんですよ」

 芭蕉が『奥の細道』に旅立ったのと同じ46歳の時には、オーストラリアに発ち、バイクで連続2周を遂げた。芭蕉への挑戦の気持ちがあった。

 目標にしていた宮本常一の旅の日数、4500日をとうに超えたのも自慢だ。

 止むことなく疾走し続けるエネルギーは賀曽利隆という人間そのものである。その向こうへ行ってどうするか、傍目には訳が分からなくても、なぜか楽しい気分にさせられてしまう。まさに向かうところ敵なしである。

 賀曽利隆は今日もとびきりの笑顔で元気にどこかを走っているはずだ。

 福田さんが書いてくれた「オーストラリア2周72000キロ」は1996年のことで、芭蕉をすごく意識しての旅立ちでした。

「オーストラリア2周72000キロ」の第1周目を終えてシドニーにゴール!

「奥の細道の時の芭蕉さんと同じ歳になりましたよ」と言ってシドニーを出発し、第1周目を終えてシドニーに戻った時は、「どうです、芭蕉さん、やりましたよ!」と真っ先に芭蕉に報告したのです。

 宮本常一先生の旅した日数は、ぼくにとっては大きな目標でした。4500日はずいぶん前に超えたのですが、それは日本と海外を合わせた旅の日数で、日本だけで4500日を超えた時はうれしかったです。このときは、「宮本先生、やっとカソリ、4500日を達成しましたよ」と報告したのです。

 ちなみに2022年1月1日現在の賀曽利隆の旅した日数は8291日。日本が5021日、海外が3198日になります。目標は10000日です。

 福田さんは『宮本常一の旅学 観文研の旅人たち』の第6章「いま旅学を問う」でも、賀曽利隆と松尾芭蕉を取り上げてくれました。

「僕が書いた本は、『さあ、これからどこどこへ!』という終わり方がすごく多いんですよ。それは松尾芭蕉の真似なんです。『旅に病んで夢は枯野をかけめぐる』、あの世界ですよ。あの芭蕉の辞世の句は、悲壮感漂うっていうけども、とんでもないですよ! あんなに明るい句はない」(賀曽利隆)

 松尾芭蕉の『奥の細道』も、沢木耕太郎の『深夜特急』も、最後は帰宅ではなく、次なる目的地を示唆する場面だ。日々旅にして、旅に栖(すみか)とす。おそらく、芯からの旅人は一生旅をするよう生まれついているのだろう。

 福田晴子さん、『宮本常一の旅学 観文研の旅人たち』(八坂書房)を大感動で読ませてもらいました。ありがとうございます。それにしても大変な年月を費やして、よくぞ1冊の本にまとめられましたよね。我が青春の年月を過ごした観文研が目の前に蘇ってきたかのようでした。