賀曽利隆の江戸探訪[09]

第4弾 小名木川

小名木川と大横川の交差点

 萬年橋から小名木川に沿って歩き始めたが、小名木川にかかる橋をひとつづつ見ていく。

 最初の橋は清澄通りの高橋で、西深川橋、東深川橋とつづき、その次が三ツ目通りの大富橋だ。ここでは三ツ目通りを北へ、森下5丁目の交差点まで行き、「そば処おおむら」で「とろろそば」を食べた。

 大富橋に戻ると、さらに小名木川に沿って歩く。

 新高橋の下をくぐり抜けると大横川との交差点。ここは運河と運河が交差する2本の川の交差点になっている。

 大横川の案内板には次のように書かれている。

 大横川は横川ともいい、万治2年(1659年)、徳山五兵衛重政、山崎四郎左衛門重政の本所奉行によって、本所深川埋立をおこなったときに開削された。

 大横川は墨田区向島1丁目と吾妻橋1丁目との隅田川分岐点から東流し、北十間川に接する地点から南下して本区(江東区)に入る。住吉1丁目および猿江1丁目を左岸とし、森下5丁目を右岸とし、木場5丁目付近において西へ曲がり、永代1丁目と越中島1丁目の間を通り、隅田川に合流する延長7・11キロ、幅20ないし35メートルの本区における最長の河川である。なお、江戸城から見て横に流れているので大横川と名づけられたという。

小名木川にかかる高橋
小名木川にかかる西深川橋
小名木川沿いの高層マンション
小名木川にかかる東深川橋
小名木川にかかる大富橋

 この小名木川と大横川の交差点近くには、「八百霊地蔵尊」が祀られている。昭和20年3月10日の東京大空襲で亡くなった深川高橋5丁目の町民八百余名の霊を慰めるために建立された地蔵尊だ。(つづく)