賀曽利隆の観文研時代[22]

韓国食べ歩き紀行(4)

1986年

東大門市場での夕食

 午前中は南大門市場を歩いたので、午後は東大門市場を歩いた。夕食は東大門市場の大衆食堂で。

東大門市場のにぎわい

 東大門市場の一角には食堂が何軒か並んでいるが、観文研(日本観光文化研)所長の神崎さんと一緒に入った店は、入口で魚を焼いていた。そのうまそうなにおいにつられて入ったようなものだ。

 私たちは焼魚のほかに、魚のチゲを食べた。

 チゲは日本でもなじみの深い鍋料理だが、具のたっぷりと入った味噌汁といったところで、魚のほかにハクサイや豆腐が入っている。魚はイシモチで、韓国ではタチウオと同じようによく食べられる。

 チゲは家庭料理としてもきわめて日常的なメニューで、ひんぱんにつくられる。

 イシモチのほかには、タラやカニ、貝類、豚肉などを入れるチゲがあり、キムチを入れるキムチチゲもある。

 私たちはさらにそのあと、カルビを食べた。

 チゲ同様、日本でもすっかりおなじみとなったカルビは、牛のあばら肉の焼肉。それにしても私たちはよく食べる。何でもかんでも貪欲に食べるてみる。私たちは「鉄の胃袋」を持った者同士なのだ.

 東大門市場の大衆食堂で焼き魚とチゲ、カルビの夕食を食べたが、テーブルにズラリと並んだキムチの皿数の多さには驚かされた。数えてみると6皿、あった。

 それら6皿のキムチというのは次のようなものだ。

  1、ムウトンチミ(ダイコンのムルキムチ)
  2、ペチュトンチミ(ハクサイのムルキムチ)
 以上の2種は水キムチ。ムルとは水の意味。これらムルキムチはダイコンやハクサイを薄い塩水に入れて乳酸発酵させたもので、さっぱりした味覚。匙ですくって飲むムルキムチの汁がうまい。
  3、ペチュキムチ(ハクサイのキムチ)
  4、オイキムチ(キューリのキムチ)
  5、カクテキ(ダイコンの角切りキムチ)
  6、プッキムチ(コマツナのキムチ)

 これらのキムチは注文したわけではなく、いわば定食のような形でついてくる。

 全部、食べられればの話だが、おかわりは自由。このあたりは日本の韓国料理店との大きな違いだ。

 ペチュキムチ、オイキムチ、カクテキ、プッキムチはトウガラシをたっぷりと使って漬けたもの。そのほかトウガラシ粉、ニンニク、ショウガ、ネギ、セリなどを一緒に漬け込み、さらに塩辛類や松の実、牛肉なども漬け込んである。このように何種類もの味が混ざり合ったキムチは単なる漬物というよりも、より総合的な、より完成された食品ということができる。

 キムチの種類は、まだまだある。

 そのほかの主なキムチを上げてみよう。

ポサムキムチ…ダイコンとナシ、ナツメ、クルミ、クリなどの果実類、アワビ、カキなどの貝類をハクサイで包み込んだもの。

トンキムチ……ダイコンに切り口を入れ、トウガラシ、ニンニク、ショウガ、ワケギ、塩辛などをはさみ込んだもの。

 青菜のキムチにはカッキムチ(カラシナのキムチ)、プチュキムチ(ニラのキムチ)、バッキムチ(アサツキのキムチ)などがある。

 韓国人の食生活とキムチは切っても切れないものだが、キムチの種類は全部、あわせると、50種類近くになるという。

 なぜ、韓国でこれほど多種のキムチが発達したのか!?

 韓国では初冬のダイコンやハクサイのキムチの漬け込みの季節を「キムジャン」と呼んでいる。そのキムジャンの季節にプサン(釜山)に行ったことがある。

 町角ではキムチを漬け込むオンギ(甕器)が売られていた。ヒビの入ったオンギを修理してまわる人もいた。一歩、路地裏に入ると、女性たちは忙しげにキムチを漬けていた。「キムジャンのキムチでないと、ほんとうのキムチの味は出ないのよ」

 といった話をキムチを漬けている女性から聞いたこともある。

 このキムジャンには、ちょうど日本で支給される冬のボーナスのように、韓国ではキムジャン・ボーナスが出るという。また、それこそ一家総出でキムチを漬けるので、学校や会社ではキムジャン休みがあるという。韓国人にとって、キムチの漬け込みというのはそれほどのものなのである。

 早春のジャン(醤油と味噌)の仕込みとともに、「人家二大行事」といわれるほど、大きな意味を持っている。日本の漬物の感覚ではとらえられないのがキムチだ。

トウガラシの辛さ

 東大門市場の食堂で夕食を食べながら思うことは、
「韓国料理はなんでこんなに辛いんだろう」
 ということだった。

 キムチも辛い。チゲも辛い。さらに、テーブルの上には生の青トウガラシが1皿のっている。この青トウガラシはそのままかじるのだが、あまりの辛さに脂汗がタラタラ流れ落ち、涙がこぼれ、鼻水がズルズル流れ出てくるほど。口の中は火事になったようなもの。「フーハー、フーハー」と、大きく息を吐き出す。それでいて、口の中がいくらかおさまってくると、また青トウガラシをかじってしまうのだ。

 英語では、このトウガラシの辛さを「ホット(hot)」で表現するが、じつにうまい。「暑い」の「ホット」と同じ単語である。汗を流しながら青トウガラシをかじっていると、「なるほど!」と、納得できるのだ。

 トウガラシは今でこそ、韓国料理には欠かせないものになっているが、朝鮮半島に伝わった歴史はごくごく新しい。たかだか、3、400年前のことでしかない。食文化の悠久の歴史でいえば、つい昨日か一昨日といったところである。

 新大陸原産のトウガラシは16世紀の半ば頃、ポルトガル人の手によって日本にもたらされた。それが文禄・慶長の役(1592年〜1597年)のときに、日本(九州)を経由して朝鮮半島に伝わった。

 ところで、日本ではそれほど重要な香辛料にならなかったトウガラシが、なぜ朝鮮半島では最重要といえるほどの香辛料になったのであろうか。

 ひとつ興味深いのは、トウガラシがアジアの各地に伝わっていった過程で、暑さの厳しい東南アジアと寒さの厳しい朝鮮半島でとくに重要な香辛料として定着したことだ。私には厳しい気候とトウガラシの間には、なにか関連があるように思えてならない。

「トウガラシ以前」は大きな問題だ。

 たかだか3、400年前といったが、それ以前ははっきりしない。

 韓国の「トウガラシ以前」の香辛料としては、サンショの実が大分、使われたようだ。

 今でもトウガラシをほとんど使わず、サンショの実でキムチを漬けている地方もある。韓国の「トウガラシ以前」というのは、じつに興味を引かれる問題なのである。

 それにつけても私たちは、韓国に来てからまだ1日半しかたっていないというのに、韓国の食文化にどっぷりとつかってしまったことに気づかされた。

 前日、キムポ(金浦)空港に降り立ったとき、空港のロビーの人いきれの中に、トウガラシとニンニクの入り混じったような、ムッとするような臭気を感じた。それがどうだろう…。生のニンニクをバリバリかじり、生の青トウガラシを涙しながらかじる私たちは、強烈な臭気を振りまく立場にまわっていたのである。