賀曽利隆の観文研時代[21]

韓国食べ歩き紀行(3)

1986年

南大門市場

 日本観光文化研究所(観文研)所長の神崎宣武さんとソウルの南大門市場を歩いた。穀物売場では米のほかにアワ、ヒエ、モロコシなどの雑穀類や麦類、豆類が売られている。

 香辛料売場はすごい。さすが「トウガラシの国」だけあって、乾燥させたトウガラシが山のように積み上げられている。生の青トウガラシやトウガラシ粉もある。ニンニク、ショウガも山積みにされている。

 調味料売場では、コチュジャンやテンジャンなどの味噌類やカンジャン(醤油)、シッチョ(酢)、ソグム(塩)などが売られている。

 野菜売場では青菜類が山積みにされている。チシャ、シュンギク、ホウレンソウ、カラシナといったところだ。ダイコン、カボチャ、ニンジンも山積みされている。

 ワラビとゼンマイが目についた。それとモヤシだ。モヤシにはダイズの白いモヤシと、リョクトウの緑色のモヤシがあった。

 サトイモ、ジャガイモ、サツマイモの芋類も目立った。

 日本では高価すぎてなかなか手の出ないマツタケが、無造作にプラスチックケースに入れられ、売られている。

南大門市場のマツタケ

 果物売場にはリンゴ、モモ、ブドウ、クリ、イチジクなどが並んでいる。

 トク(餅)を専門に売っている店がある。

 餅といっても、日本でいえば団子に近いもの。米粉を練り固め、それを蒸したもので、ヨモギを混ぜた餅やクリ、ナツメなのど果実を混ぜた餅もある。日本の糯米を蒸して搗いた餅とは違い、韓国のは餅は粉食だ。

 魚介類売場ではタチウオが目立つ。朝鮮半島と西日本の近さを感じさせる光景。そのほかタラ、スケトウダラ、タイ、イシモチ、サバ、イワシ、カレイ、ヒラメ、カツオ、ニシン、イカ、タコ、カニ、エビなどを見る。

「おやっ!」
 と思わせたのはエイ。エイが多い。このあたりは北日本と似ている。韓国人はエイをよく食べるという。

 全体的に見ると、鮮魚よりも塩魚が多いという印象だ。

 そのほかタラなどの干魚やスルメ、何種類ものイリコを売る店、コイ、フナ、ウナギ、ドジョウ、カワエビなどの川魚を売る店、アサリ、ハマグリ、アゲマキなどの貝類を売る店、カメを売る店もある。

 韓国が三方を海に囲まれた半島国だということを実感させられる魚介類売場。その点では四方を海に囲まれた島国日本と似ている。

 南大門市場を歩いていて、とくに私の目をひきつけたのは塩辛売場だ。

 塩辛のことをチョッカルといっているが、イカ、ホタルイカ、アミ、エビ、カニ、ヒシコイワシ、スケトウダラの子やはらわた、カキやアサリなどの貝類と、とにかく種類が多い。それら多種類の塩辛がプラスチック製の大桶いっぱいに詰め込まれている。韓国人がいかによく塩辛を食べているか、またよく使っているかを物語るような光景だ。

 明太子も売っている。さすが本場の明太子だけあって、色艶がいい。思わずひときれ取って、あたたかいご飯の上にのせて食べたくなった。なお、ミョンテー(明太)といえばスケトウダラのことである。

 海草売場ではノリが目立って多い。そのほか、ワカメ、アオサ、モズクなどが見られたが、なぜかコンブは目に入らなかった。韓国ではコンブは食べないのだろうか…。

 肉売場では、肉が大きな塊のままで売られている。臓物はむきだしのままで、ギョッとするほど生々しい。

 丸ゆでにしたウシやブタの頭が並んでいる。それらは祭りや厄払いの行事に主として使われるとのことで、供物として供えられる。もともとはソモリ(丸ゆでしたウシの頭)が使われていたものが、近年ではテージモリ(丸ゆでにしたブタの頭)も使われるようになっているという。

 青果類の売場でも、魚介類の売場でも、肉の売場でも、市場内での売り方は迫力満点。ちまちまと小分けにして売っているのではなく、ドサーッと、山のように積み上げられている。その量のすごさに圧倒されてしまう。こうして南大門市場を歩いていると、韓国人の食生活の一端を垣間見ることができるし、韓国の食文化を考えられるし、韓国人の生き方にも迫れる。市場歩きはじつにおもしろい!

南大門市場の陶磁器店
南大門市場のにぎわい

臓物と魚醤油

 南大門市場内には、ブタの臓物を食べさせる屋台が並んでいる。私たちはさっそくそれを味わった。とはいっても臓物が目の前にズラリと並んでいるのはちょっと異様な光景。最初は目を覆ってしまうような気持ちの悪さを感じたが、ボイルした臓物を店のおばさんが目の前で薄切りにしてくれ、それをアミの塩辛の汁(魚醤油)につけて食べはじめると、そのような気持ちの悪さは吹っ飛び、次から次へと箸をのばした。うまいのだ。意外とさっぱりした味わいの臓物は、塩味がきいて、コクのある魚醤油によく合う。

 ところでこの魚醤油だが、日本では秋田のショッツルや能登のイシル、伊豆七島のクサヤづくりに使う塩汁のショッチルが残っているぐらいでしかない。ところが東南アジアに目を向けると、タイのナンプラー、ラオスのナンパー、ベトナムのヌクマム、カンボジアのトゥクトレーと、それぞれの国ではきわめて重要な調味料として使われている。

 魚醤油は魚介類を塩漬けにしたときに、にじみ出てくる塩汁のこと。秋田のショッツルはハタハタからつくられるが、「ショッツル」は「塩汁」からきている。能登のイシルはイワシやイカなどからつくられるが、「イシル」は「魚汁」からきている。タイのナンプラーも同様で、ナンは水を、プラーは魚を意味しているが、「魚水」からきている。

 このような魚醤油を調味料として使っているのは世界でも限られたエリアで、日本から朝鮮半島、中国南部、さらには東南アジアへとつづく一帯だ。この「魚醤油圏」では塩辛も食べられる。塩辛と魚醤油はセットになっている。

 日本からインドシナへとつづく「魚醤油圏」でひとつ興味深いのは、このエリアでは、「なれずし」が作られ、食べられていることだ。

 韓国ではシッケと呼んでいるが、いったん塩漬けにした魚介類を塩抜きし、それを米飯とかアワ飯に漬け込んで発酵させ、熟成させたものだ。

 日本では海魚のみならず、イワナやアユ、フナといった川魚のなれずしをもつくっている。インドシナの山地でも同様に川魚のなれずしをつくっている。

 なれずしは海洋民のつくりだしたものではなく、もともとは山地民が川魚の保存のためにつくり出したもの。場所によっては獣肉のなれずしもある。

 このような山地民のなれずしと海洋民の魚醤油、塩辛が同じ食文化のゾーンに出てくることに、私は興味をそそられる。両者に共通しているのは、ともに発酵食品であるということだ。

 日本から東アジア、さらには東南アジアへとつづく「魚醤油圏」というのは、食品の発酵技術が世界の他地域に比べ、ひときわ発達しているエリアといっていい。

「サムゲッタン」を食らう!

 南大門市場の屋台では、ブタの臓物のほかに、腸詰も食べた。

 この腸詰というのは、ブタの腸に強飯とはるさめを詰めたもので、それにブタの血やトウガラシ粉、コショウ、ネギ、ニンニク、ショウガなどを混ぜてある。

 それらを詰めた腸管の先端を糸でくくり、味噌味の汁の中で煮立てたもの。それを冷やし、臓物と同じように薄切りにし、トウガラシ粉の混ざった塩につけて食べる。

 屋台では男も女も、ボリュームたっぷりの臓物や腸詰を食べている。間食に食べているようだ。そのような光景を目にしながら、私はこの国に根づいた肉食文化の伝統を実感した。

 神崎さんと南大門市場近くの食堂で昼食にする。店内は混んでいた。それとはなしにまわりの人たちを見ると、五目飯のビビンバや雑炊のクッパ、冷麺のネンミョンといった単品の食事をしている人が多い。ネンミョンはソバ粉にコムギ粉を混ぜて打った麺に、冷たい牛肉のだし汁とムルキムチ(水キムチ)の汁をかけたもの。

 私たちは夏負けしないようにと、名物料理の「サムゲッタン」を注文した。

「サムゲッタン」を食べる

 夏によく食べられるサムゲッタンだが、内臓を取り出した若鶏の腹腔に糯米、ナツメ、薄切りのニンニク、スサムを詰め、薄い塩味で水炊きしたものである。土鍋に入った熱々のサムゲッタンに荒塩をパラパラッとふりかけて食べると汗がタラタラ流れ落ちてくる。

 スサムというのはチョウセンニンジンのこと。サムゲッタンの汁にはチョウセンニンジンとニンニクのエキスが混ざり合い、溶け合っている。食べ終わると急に元気が出てくるような、体の芯が火照ってくるような気分を味わえる。

 南大門市場を歩いたあとはソウルの中心街をプラプラ歩き、ソウル第一の繁華街のミョンドン(明洞)にも足を延ばした。