賀曽利隆の観文研時代[02]

「偉大なる旅人、宮本常一」誕生の10ヵ条

 日本観光文化研究所(観文研)をつくられた宮本常一先生は1907年(明治40年)8月1日、周防大島東部の家室西方村で生まれた。戦時中に白木村と改称し、1955年(昭和30年)には森野、和田、油田の3村と合併し、東和町になった。さらに2004年(平成16年)には周防大島の久賀町、大島町、橘町、東和町の4町が合併し、現在は1島1町の周防大島町になっている。

宮本常一先生の故郷、周防大島には国道437号の大島大橋を渡って入る

 宮本先生は16歳のときに故郷を離れ大阪に出るが、そのときお父さんの善十郎さんからいろいろなことを教えられた。

 それは次のようなことだった(文藝春秋刊の『民俗学の旅』より)。

  1. 汽車へ乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何がうえられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ることだ。駅へついたら人の乗りおりに注意せよ、そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷置場にどういう荷がおかれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。
  2. 村でも町でもあたらしくたずねていったところはかならず高いところへ上がって見よ、そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見下ろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへはかならずいって見ることだ。高い所でよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない。
  3. 金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。
  4. 時間のゆとりがあったらできるだけ歩いて見ることだ。いろいろのことを教えられる。
  5. 金というものはもうけるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。
  6. 私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない。すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。三十歳まではおまえを勘当したつもりでいる。三十すぎたら親のあることを思い出せ。
  7. ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻って来い。親はいつでも待っている。
  8. これからさきは子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。
  9. 自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからと言って親は責めはしない。
  10. 人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかりあるいていくことだ。

 ぼくはこれは、「偉大なる旅人、宮本常一」誕生の10ヵ条だと思っている。

 宮本常一先生のお父さんのお言葉には胸にしみるものがあるが、親が子に送る最高の言葉だと思うし、前半の1から4までの項目はぼく自身、長年に渡って実践していることでもある。まさに旅の基本といっていい。