日本16端紀行[17]

2019年10月8日

北海道本土最西端「尾花岬」

 10月8日5時、乙部温泉「光林荘」を出発。国道229号を北上。夜明けの日本海を見ながら走る。日本海に浮かぶ奥尻島がよく見える。

 熊石(八雲町)を過ぎ、大成(せたな町)へ。

 国道229号といったん分かれ、海沿いの道道740号を行く。大成の町を通り、太田の集落に近づくと、北海道本土最西端の尾花岬が見えてくる。岬への道はないので、太田漁港にVストローム250を止め、行止り地点まで海沿いの小道を歩いてみた。その先では切り立った断崖がストンと海に落ちている。

北海道最西端の尾花岬を見る

 太田から尾花岬を貫く太田トンネル(全長3360m)を走り抜け、国道229号に合流。北檜山を通り瀬棚へ。「セイコーマート」で朝食。北海道では各地に「セイコーマート」があるのでありがたい。ここから奥尻島へのフェリーが出ているが、船上からは尾花岬がよく見える。

 瀬棚から国道229号を北上。茂津多岬を通り、弁慶岬へ。

 弁慶岬には弁慶像が建っている。大男の弁慶は高下駄をはき、右手にはナギナタを持っている。ここは義経の「北行伝説」の地。伝説によると、義経と弁慶の主従は奥州・平泉の衣川の戦いで敗れ去ったのではなく、それ以前に三陸の宮古に逃れたという。宮古からは八戸、十三湊を経て三厩から北海道の松前に渡り、日高の平取へ。そこから日本海に出て船出した。その後のルートだが、樺太に渡り、黒龍江(アムール川)沿いに蒙古(モンゴル)に入ったという。国内の義経の「北行伝説」のルート上には点々と義経神社や義経寺などがあり、伝説をもっともらしい話にしている。

 この先の雷電岬には「刀掛岩」と呼ばれる大岩がある。義経主従がこの地で休憩したとき、弁慶の刀が大きすぎて置くことができず、「エイッ!」とばかりに岩をひねってつくったという刀掛けなのだという。弁慶が背負っていた薪を降ろしたという「薪積岩」もある。

 弁慶岬の語源はアイヌ語の「裂けたところ」を意味する「ペルケイ」だという。それに「弁慶」の字を当てた。岬の近くには「弁慶の土俵跡」が残されている。ここは弁慶が地元のアイヌ人たちと相撲をとった土俵跡だという。弁慶のはいていた高下駄をまつる弁慶堂や弁慶が別れの宴を催したという二ツ森の丘もある。

「悲劇のヒーロー」の義経を守り抜いた弁慶の体力と気力を神業と信じ、弁慶を守護神としてあがめる風習が北海道の各地に残されている。

 寿都町から岩内町に入ったところが雷電岬で、ここも断崖がストンと海に落ちている。国道229号は刀掛トンネルで雷電岬を抜けていく。つづいて弁慶トンネル、雷電トンネルを抜けて岩内の町に入っていく。

 岩内で積丹半島を一周する国道229号と分かれ、国道5号で稲穂峠を越えて余市へ。

 余市で国道229号と合流し、10時45分、小樽に到着。函館港から425キロ。「余市→小樽」間は国道5号と国道229号の重複区間になる。

小樽に到着。ここまでが国道229号

 小樽からは国道5号→国道237号→国道231号で日本海を北上。石狩市から増毛町に入ったところが雄冬岬。国道231号沿いの「雄冬食堂」で昼食にする。「はまち丼」(1200円)を食べたが、これがすごい一品。天然ハマチのぶ厚い切り身が丼飯を覆いつくしている。ボリューム満点のじつにうまいハマチ丼だった。

雄冬岬の白銀の滝