伊豆七島紀行[33]

2019年4月13日

三宅島の溶岩地帯を行く

 伊ヶ谷港を出発。三宅島第3周目の開始。Vストローム250でのチョビデスさんとのタンデムだ。今回も反時計回りでの三宅島一周する。

伊ヶ谷港を出発。三宅島の第3周目、開始!

 まずは阿古に行く。

 三宅島の大噴火で消え去った阿古の集落跡には「観光と漁業で賑わった阿古温泉郷」と題して、往時の集落の写真が掲げられている。それが大爆発で消え去った。そこには往時の写真のほかに「阿古集落跡」の案内板が立っているが、それには次のように書かれている。

かつての阿古。観光と漁業で賑わっていた

 陽気で人なつっこい阿古地区の住民は、いち早く観光産業に着目し、自然の恵みを巧みに利用して、島内唯一の温泉郷として隆盛を極めていた。
 昭和58年10月3日、大音響とともに二男山を吹きとばした噴火は膨大な量の溶岩を流出し、山谷を埋めつくし、眼下一帯に広がる阿古の集落を襲った。
 19ヘクタールにおよぶ溶岩原の下には約400戸の民家が埋没しており、海岸線沿いに難をのがれた人家がわずかに往時を偲ばせている。
 1300余名の住民は冷静な判断と沈着な行動により、全員無事避難という偉業を成しとげた。この避難行は「奇跡の生還」と称され、永く後世に語り継がれることであろう。

 たびたび大噴火を繰り返している三宅島。海岸まで溶岩が流れ出た今崎海岸を歩き、そのシンボルの「メガネ橋」を見た。さらに溶岩原の中の「火山体験道」を歩き、昭和58年の大噴火で溶岩に埋まった阿古小学校跡を見た。阿古小学校は生徒数99名、教職員は16名。大噴火の前日は小中学校合同の運動会で、校庭には子供たちの元気な声が響き渡っていたという。

今崎海岸の溶岩を見るチョビデスさん
三宅島に立つ!
今崎海岸のシンボルの「メガネ橋」
溶岩流の跡を見ながら「火山体験道」を歩く
溶岩に飲み込まれた阿古小学校
溶岩の中に鉄枠が残っている