30年目の「六大陸周遊記」[095]

[1973年 – 1974年]

アメリカ編 8 パナマ[パナマ]→ メデリン[コロンビア]

パナマは「西半球の香港」

 パナマの首都パナマ市は「西半球の香港」といわれ、きらびやかな商店街には豊富な商品があふれていた。「メイド・イン・ジャパン」が断然はばをきかせていた。車やバイク、カメラ、時計、電気製品と目に入る物の大半は日本製だ。

 パナマ市に隣あって、パナマ運河の太平洋側の港町バルボアがある。バルボアはアメリカの租借地、カナール・ゾーン(運河地帯)の中にある。

 パナマ運河を見たくて、オンボロバスに揺られてバルボアへ。南北アメリカ大陸を縦断するパンアメリカンハイウェーを横切ると、急にアメリカ製の大型乗用車が目立つようになり、広々とした芝生に囲まれた家並みに変った。カナール・ゾーンに入ったのだ。

 パナマとカナール・ゾーンの間には検問所があり、そこで厳しいチェックを受けるのだろうと想像していたが、まったくのフリーパス。問題なくパナマ運河の見えるところまで行くことができた。

パナマ運河のマジックショー

 パナマ運河は太平洋岸のバルボア港から北西に80キロ、水面の高さ30メートルのガツン湖を串ざしにし、パナマ地峡を縦断して大西洋側のクリストバル港に出る。1日40隻ほどの船が行きかう世界の海運の要衝だ。

 パナマ運河はロック式。閘門を開け閉めして1隻づつの船を通していく。巨大な鉄製の閘門が重々しく閉まると、運河の底からは水が沸きかえるようにして盛り上がってくる。そこに大型船が入ってくると、船との間でロープを投げかわしたりしながらゆっくりと通過していく。そんなシーンを飽きずに眺めた。

 ちょうどうまい具合に、パナマ運河を通過できる最大級の船だという、イギリス・サザンプトン船籍の「Tokyo Bay」という大型のコンテナ船が通過した。まさにギリギリでまるでマジックショーでも見るかのようだった。

 日が沈みかけた頃、パナマ市に戻った。

 その夜は町の映画館で『日本沈没』の映画を見た。台詞は英語で字幕はスペイン語。見終わったあとはいろいろと考えさせられた。

 前夜につづいてティカバスのバスターミナル近くで野宿したが、真夜中、パカッと飛び起きると、
「今、この瞬間、日本が沈没するような巨大地震が起きていたら…」
 と、いいようのない不安感に襲われるのだった。

中米から南米へ!

 パナマからコロンビアに向けて飛び立った日は、雲が低く垂れ込めていた。パナマ航空COPAのプロペラ機は離陸すると雲を突き破って上空へ。そこは地上とはうってかわってまぶしいほどの青空だった。

 飛行機の窓からは、雲の切れ間から太平洋の海岸線が見える。海上は風が強いのか、海面のあちこちに白い波頭が見えている。陸地側は一面の密林。道路もなく、集落もなく、緑の絨毯を敷きつめたように密林が広がっている。

 中米の国々を縦貫するパンアメリカン・ハイウェーはパナマで途切れてしまう。そのためこうして空路、コロンビアに入らなくてはならないのだ。

 今は雨期なのだろうか、大蛇のように曲がりくねった川の流れは真っ茶色。川沿いには湖が点々と散らばり、かなり大きな湿地帯も見えた。

 やがて風景はガラリと変る。

 密林で覆われた平原は消え、幾筋もの山並みが見える。それは南米の太平洋側を南北に連なるアンデス山脈だ。その長さは6750キロにもなる。

 飛行機はどんどんと高度を下げ、山の頂スレスレに飛び、アンデス山中の盆地の町、メデリンに到着した。コロンビア第2の都市メデリンの中心街には、高層ビルが林立している。

 ついに南米にやって来た。3度目の正直の南米だ。

 さー、「南米一周」の開始だー!