30年目の「六大陸周遊記」[087]

[1973年 – 1974年]

ヨーロッパ編 10 ロンドン[イギリス]→ ブリュッセル[ベルギー]

ロンドンでのビザ取り

 ロンドンに到着したのは1974年9月29日。「キングジョージVIユースホステル」に泊まったが、そこを拠点に、次の日からは「北・中米編」の準備で動き回る。

 まずはロンドンの中心街にある旅行社を何軒もまわり、ニューヨークまでの安チケットを探す。その結果、10月4日にベルギーのブリュッセルを発つチャーターフライト機のチケットをゲット。片道62ポンド。

 次に中米の国々のビザを取り始める。

 中米の国々はメキシコ→グアテマラ→エルサエバドル→ホンジュラス→ニカラグア→コスタリカ→パナマという順に北から南へと向かっていく予定だが、その順に各国の大使館や領事館をまわった。

 これら中米7ヵ国のうち、メキシコ、グアテマラ、ホンジュラスはビザが必要ないとのこと。エルサルバドルのビザはその場で発行してくれた。ビザ代は75ペンスと安い。

 ニカラグアの大使館は遠かった…。

 中心街のピカデリーサーカスからハイドパーク、グローセスターロードで懸命になって歩いたが、残念、到着したのは午後の3時過ぎ。大使館はすでに閉まっていた。

 翌朝、10時のオープンとともに行き、ビザを申請すると、翌日の発行だという。このようにビザ取りというのは大変だ。

大英博物館を見学

 ニカラグア大使館でのビザの申請を終えると、その日は1日、ロンドンを歩きまわった。地下鉄に乗ったり、2階建のバスにも乗った。

 印象深いのは世界最大の大英博物館。ここはユースホステルに泊まっている旅行者にいわせれば、
「世界最大の泥棒博物館」
 ということになる。

 なるほど。

 古代エジプトやメソポタミア、パレスティナ…と、世界中の貴重なモノがここに集められている。

 まあ、それはおいて、実物の「ロゼッタ石」を見たときは感激した。

「おー、これなのか!」

 ユースホステルに戻ると、何人かの人たちと一緒にスーパーマーケットの「Sefeway」に買出しに行き、ユースのキッチンを使って夕食を作る。こってりしたスープを飲み、ぶ厚い肉を食べる。サラダやキャベツの塩もみなど野菜もふんだんに食べることができた。もちろんイギリス人の大好きなポテト料理も。これらの食材は人数割りなので安くて旨くてボリューム満点の夕食を食べることができた。

 翌朝10時、ニカラグアの大使館に行き、ビザをもらうと、次にパナマ大使館に行く。ところがビザは領事館の方で申請を受け付けているという。大使館と領事館はけっこう離れているのだ。地下鉄を乗り換え、乗り換えしてテムズ川近くのパナマ領事館へ。そこではその場でビザを発行してくれたが、ビザ代は2ポンド50ペンスと高かった。

 ロンドンでのビザ取りの最後はコスタリカ。教えてもらった住所に行ってみると、コスタリカの大使館は別な場所に移っていた。中米のビザはもうここまで。コスタリカのビザはメキシコで取ることにした。

 最後にビクトリア駅に行き、ベルギーのブリュッセルまでの切符を買う。8ポンド10ペンスだった。

列車でロンドンからブリュッセルへ

 1974年10月3日、ロンドンを出発。ビクトリア駅から列車に乗り、ドーバーへ。その間はノンストップ。1時間30分でドーバーに到着。

 ドーバー港からはフェリーでベルギーのオーステンデに渡る。

 フェリーが出港すると、甲板に上がる。猛烈に冷たい風が吹いている。ドーバー海峡は波だっている。ガタガタ震えながら、ドーバーのホワイトクリフ(白い断崖)を見た。

 船内はほぼ満員。レストランにも長い列ができていた。イギリスの高校生たちのグループも。日本でいえば修学旅行。彼らはベルギー→オランダ→ドイツと、大陸をめぐるのだという。

 ドーバー港から3時間半、フェリーはオーステンデ港に到着。

 オーステンデからはルクセンブルグ行の列車に乗る。列車はほぼ満員。オーステンデから1時間15分でブリュッセルミディ駅に到着。ここがヨーロッパ最後の地になる。

 ブリュッセルの町を歩く。

 王宮へ。

 王宮は見学できる。それも無料だ。まばゆいばかりのシャンデリアの輝き、部屋ごとに違う趣、王宮内のあちこちに掛けられている絵画。豪華絢爛なヨーロッパの王朝文化の一端を垣間見ることができた。

 王宮前のブリュッセル公園を歩き、ルクセンブルグ公園を歩き、市電に乗った。終点まで行って、そこから戻った。

 さー、いよいよ、ブリュッセルともお別れだ。町の中心から空港まで歩いていく。

 夜中に空港に着くと、ひと晩野宿し、翌10月4日、チャーターフライト機でアメリカのニューヨークに飛んだ。

 これで「ヨーロッパ編」が終った…。