鵜ノ子岬→尻屋崎 2024[12]

2024年3月11日 – 14日

復路編の開始

 尻屋漁港を出発したのは14時。「鵜ノ子岬〜尻屋崎」の復路編の開始。SX250にいつものように、「さー、行くぞ!」とひと声かけて走り出す。

 八戸北ICで八戸道に入り、八戸JCTから三陸道を一気に南下する。岩手県内の久慈、宮古、釜石、大船渡、陸前高田を通って宮城県に入り、気仙沼、南三陸を通って石巻女川ICで三陸道を降りた。そこから今晩の宿「サンファンヴィレッジ」へ。

「サンファンヴィレッジ」に到着したのは20時30分。尻屋崎から470キロだ。

「あー、残念…」

「サンファンヴィレッジ」の夕食は20時まで。ところが総支配人の幸田さんは「カソリさん用に」と夕食を用意してくれていた。大食堂で一人、夕食をありがたくいただいた。「幸田さん、ありがとう!」

 翌朝は6時に朝食を食べ、7時には「サンファンヴィレッジ」を出発。牡鹿半島の鮎川を目指す。県道2号で西海岸を南下。東日本大震災の大津波で大きな被害を受けたいくつもの漁港の復旧工事はほとんど終わっている。高台移転した集落もほとんどが完成している。高台移転した県道2号の新道も完成している。

 月浦ではSX250を止め、支倉常長像を見た。そこには支倉常長の「慶長遣欧使節航海図」の碑も建っている。案内板には次のように書かれている。

仙台藩主伊達政宗は、慶長18年(1613年)海外貿易を目的として、支倉常長ら慶長使節団をメキシコやヨーロッパに派遣した。月浦は使節一行を乗せた木造洋式帆船「サン・ファン・バウティスタ」の造船・出帆の地として知られ、仙台藩の正史「貞山公治家記録」には「南蛮国ヘ渡サル黒船牡鹿郡月浦ヨリ発ス」という記録が残っている。使節船は気仙・東山・磐井・江刺などから船材を調達し、スペイン人宣教師ビスカイノらの指導のもとで造船された。後略

 高台上の支倉常長像を見た後は急坂を下って、天然の良港の月浦漁港を見た。

 月浦からさらに県道2号を南下し、牡鹿半島の中心地鮎川には8時に到着。「サンファンヴィレッジ」から30キロ。鮎川はまだ復興の最中だ。